存在と時間


仲俣さんと「路字」1号の打ち合わせ。そこで帰ればよいものを、吉祥寺の百年まで一緒に行ってしまい、さらにパンと珈琲でひたすら雑談。もう、どうせならお酒飲んじゃえばよかったんじゃないか問題。


アレコレの関心事が明確な像を結びつつあり、いっぽうでそのような像から身をかわしたいとも思ったり。紙メディアのよいところは、そのようなアンビバレンツな気持ちはともかくとして実際のブツがそこに現れるということだ。存在が確認できさえすれば、時間もまた経過していく。流れていく。