誰も傷つけずに世界に復讐する方法


朝から入念に資料を読み、午後はセミナーに出かけた。セミナーのタイトルは「ゼロ年代リテラシー〜今この時代に新聞・雑誌を読むこと〜」で、観てわかるように胡散臭いのだが、ポト美がどうしても行きたいと駄々をこねるので、やむをえずついていくことにしたのだ。


講師はわりとイケメンで、きっちりしたスーツを着てマッチョな風情があった。名前はタクチ・ウーノと言った。変な名前だ。そのマッチョでイケメンな彼が言うには、みなさん、新聞や雑誌を読む時に、国会図書館のエントランスに立つようなイメージを抱いてください、ほら、いいですか、これこのように、ごにょごにょ、とだんだん眠くなってきた僕は居眠りをした。目覚めるとではみなさん、最後に名刺を拝見させてくださいと言ってタクチ・ウーノ氏が順々に受講生の名刺を回収していく。ポト美も真新しい名刺を差し出そうとしているので、ダメだ、ポト美、渡してはダメだと思うのだけど、それが声に出ない。イケメンであることにつられてしまったのか、ポト美は名刺を渡してしまった。そして僕は気づいた。


ポト美の存在の密度が、名刺一枚分薄まっている。


家に帰っても、その存在の薄まりは元には戻らなかった。もちろん、たとえ名刺一枚程度薄まってもポト美はポト美であり、それによって僕のポト美への愛が損なわれるわけはない。しかし、それでもやはり、奪われたものは取り返さなくてはいけない、と僕は考えた。奪われつづけることに慣れていくとその感覚さえも麻痺していって、やがて僕らは薄っぺらい名前だけを残されることになる。そうなる前に、名刺を取り返そう、と僕は提案した。正気に戻ったポト美もなんか面白そうだからという理由でそれに応じてくれた。こうして僕らの名刺奪還作戦がはじまったのだ。




犯行予告は手紙を使いまーす、とポト美は宣言した。僕は、面倒くさいからネットにしようよ〜、とごねたのだが、それはエレガントじゃないでしょう、怪盗たるもの、常にエレガントであることを心がけるべし!と頑固に主張するポト美に最後は押し切られる形で了承した。っていうか、いつのまに怪盗になってるのか。まあ、いいとして、もちろん宛先はマッチョでイケメンなタクチ・ウーノだ。手紙は白地に、装飾のない明朝体のシンプルな文字が好ましい。

「タクチ・ウーノ様
 
 
 名刺を返してもらいます  怪盗キミトボク」


なにこれーこの名前、ばっかじゃないのとポト美に言われたのだが気にしない。っていうか怪盗にしたのはポト美だろう。そのポト美は余白に、犬とか猫とか、あとよくわからないが花とか魚とかであるらしいものの絵を描いた。可愛らしい手紙に仕上がった。




数日後、僕らは丁寧に返事をくれたタクチ・ウーノ氏と面会し、僕らの分身であるところの名刺を奪還することに成功した。っていうか、いや、別にお返ししますよ、はいどうぞ、キミトボクさん(笑)とイケメンスマイルで言われて返された。でもそれでは怪盗キミトボクの怪盗としての示しがつかないので、タクチ・ウーノ氏がトイレに行ってる隙にその他の名刺も含めてファイルごと全部盗むことにした。やーい、ばーかばーか。正直、タクチ・ウーノ氏がイケメンであることに僕はちょっと妬いていたのだと思う。名残惜しそうなポト美の手を引っぱり、僕らは電車を乗り継いでヒルズに向かった。怪盗として盗んだのだから、その証拠を象徴的に残す必要がある。それにはヒルズは適任だった。ヒルからしてみれば迷惑千万この上ないだろうけども、まあ、そんなに目くじら立てることでもないので、見逃してくれるかなと思ったりもしたのだ。もちろんヒルズはセキュリティが万全だが、この日は国民の祝日だったために少しばかりチェックが甘かった。普通、人が混む祝日ほど警備が厳しそうなものだが恩赦とかお祭り騒ぎ気分とかたぶんなんかそんな理由で甘くなっていたのだ。そこで、エレベーターと階段と秘密の通路を使って空中庭園に出た僕たちは、そこから僕ら+誰か知らない人たちの名刺を東京じゅうにばらまいた。ぱらぱらぱらぱらと風に乗って分身たちは飛んで行った。やほーい。


風があまりに気持ちよいのと、大仕事をやってのけたという自己満足的な達成感に僕が酔っていると、ねえ、今のさ、風に乗ってっちゃったよね、それってさ、どこいくの?とポト美がつぶやいた。もしかしたら海とかに行ってさ、東京湾のゴミと一緒になったりとかさ、あと黒潮に流されて三陸沖の魚に食べられちゃったりするんじゃないのかな? 食べられたら痛いかな? 痛いよねやっぱ……。ポト美は泣いている。


そんなこと言ったって、僕らだってどのみちいつかどこかで食べられるんだし、実際僕らも今、誰かの分身を食べて生きてるわけだから、そういう痛みは、お互い様だろ、だから別に泣かなくてもいいじゃん、と僕は思った。それにさー、すぐ泣くのとかってちょっとずるいんじゃないの、とも思った。でも、言わない。そんなの言わなくったってポト美だってわかってるんだってば。そりゃ、わかってるんだってば。だから僕も泣いてみることにした。そうすることで、少しでもポト美に近づけるような気がしたからだ。最初はうまくいかなかったけど、ゆっくりと、時間をかければ、人は泣けるらしい。


そして無駄に涙を流していた僕らは警備員にあっさり捕まって、祝日に仕事増やしてくれて困るよまったくという愚痴を1時間くらい聞かされたので、泣いたのもあって疲れてしまい、疲れた時はやっぱり甘いものでしょうというポト美の言葉にぐらりときて、ケーキを買って帰った。支払いは僕がした。遊びに付き合ってあげたんだから当然よとポト美は言った。僕も少し太っ腹な気分になっていたのでケーキ代くらいはどうってことなかった。そんで家に帰ってひさしぶりにイチゴのショートケーキを食べたら、わりと美味しくてちょっと感動した。満足して寛大になっていたポト美が、さあ寝ましょうと言って、電気がパチンと消えて僕らは寝た。






起きたらひとりで、ポト美の姿はなかった。というか、衣服とか本とかCDといった、ポト美的なるもののすべてが消えていた。そもそも、ポト美なんていなかったのかもしれない。存在しなかったのかもしれない。寝ぼけた頭ではそんなことを考えた。でも、ポト美がイケメンな彼に名刺を渡して薄まった時、あ、薄まった、という感じはたしかにしたのだ。その感じはちゃんと憶えていた。そうするとポト美はいたのかもしれない。存在した、のかしなかったのか……でもやっぱりいたような気がする。少なくともその記憶はある。っていうか、いないわけないじゃん!


けれども、もし、ポト美がいないと仮定したとして、いや、いるんだけど、じゃあ、僕自身はどうなのだろう? 僕が存在しない、という可能性は考えられるのではないか。なんかそういうオチの映画だか小説だかを見た記憶がある。いや、現実に、そういうことってありうるんじゃないだろうか? こう思い、こう考えている僕がいるのだから僕は存在する、という古典的な存在証明はもはや通用しない。だって僕は僕で、ただこうして記述されていくだけなのだし、そろそろ消えてしまうだろう、という予感もある。なんか文章に終息の気配があるっていうか、たぶん、これ書いてる記述者がそろそろ飽きてきているのだろう。記述者の気まぐれひとつで、僕は生み出されるし消されてしまう。だいたい、僕は仕事だって何してるかわからない。年齢もわからない。発想からして、比較的若そう、せいぜい20代でないかとは推測されるけれども、もしかしたら青臭い30代かもしれないし、おっさんとかおじいさんであるという可能性もなくはない。いちおう性別は、男だろう。や、でも、僕、と自称している女の子だっているのだから、もしかしたら女だったりして。それに関する具体的な記述は何もないのだから、それだけ、可能性は存在している。すると、ポト美との関係性も考え直さなくてはいけないだろう。てっきり恋人かなにかだと思っていたけれど、姉妹かもしれないし、レズビアンかもしれない。ただの友達かもしれない。いや、ただの、ってなんだ? 友達ならそれはそれで、素晴らしいじゃないか。……それはともかく、僕という存在は、単に、誰かの気まぐれで書き付けられて、それで、なんかそれなりのメタファーとかに使われて……なんか、なに、「誰も傷つけずに世界に復讐する方法」? そんなもののために役回りを演じさせられて、それでもう役目も終わったから捨てられちゃうのだ。だとしたら泣くのだって、僕の意志じゃなかったのかもしれない。わりと泣いたつもりだったのに、全部ウソ涙だったのかもしれない。あーそれってなんかいやだ。生み出すのならちゃんと作ってほしい。それなりのアイデンティティを与えてほしい。生きる実感っていうの? そういうの与えてほしいんだよね。奪還作戦とか考えたのだって、馬鹿みたいじゃん。僕だってそれなりに一所懸命やったのに、最後は、大事な人の存在まで奪われて、っていうかあやふやなことにされて、それでひとりぼっちだなんて、ひどすぎると思います。断固僕は抗議する。僕にだって幸せになる権利はある。


でもまあ、悲しいことに、どうやら僕はポジティブなふうにつくられているようだった。考えてもどうにもならないから、前向きに、できることをする。いちおう、僕は文章を書くことはできそうなので、ポト美の存在について、その記憶が残っているうちに書いてみることにした。書かないと忘れちゃうからね。それが、ひとまずこの文章ということになる。