出た、オフサイド


昨日は雨の中の東京ダービーで(びしょ濡れだよ……)、74分、オフサイドの判定によって長友のミドルシュートによるゴールが取り消された。オフサイドポジションにいた今野がプレーに関与した、と見なされたのだと思うけれど、今野はシュートをまたいでよける動きをしただけで、その場にいたヴェルディの服部と土肥を幻惑するような(邪魔するような)動きではなかったはずだ。服部はそもそも遠い位置にいたし、土肥は倒れて起き上がるのに精一杯で今野のほうを見ていなかったと思われる。また今野がその場所にいることによって動きが妨げられるようなポジショニングでもなかった。昨日の敗因はこれだけではないのだけど、このゴール取り消しでFC東京の選手たちがかなりガックリきたことは間違いない。


これに始まったことではなく、Jリーグはそもそもオフサイドの判定がぬるい、と感じていたのでこれを機会にちょっと苦言を呈しておきます(もしかしたら前に書いてたりするかもしれないけど忘れたからいいや、もっかい書きます)。だってそもそも線審がラインに追いつけてなくて、え、ちょっ、今絶対観てなかったのに適当に旗あげたよね? みたいなこともあったりするので。そういう怪しげな判定に対して、プレー中の選手や監督には(そしてもちろんサポーターにも)ほとんど抗議の権利が与えられていないのだが、まあそれはスポーツマンシップの維持のためにいたしかたないと、百歩譲って涙を呑んで我慢してもいい。それに審判だって人だから間違いがある、という、サッカーにかぎらず何度も繰り返されてきた言い訳もまあそうだよねと頷いてもいい。


しかし最大の問題はマスメディア、とりわけ試合を放映するテレビがほとんどオフサイドの判定に対してもの言わぬというか、PKのジャッジも含めてほとんど審判に対してノーチェックだということである。批判精神もジャーナリズム精神もそこには不在なのだ。例えば海外のサッカー、ワールドカップでもいいしリーグ戦でもいいけれど、放送でオフサイドのシーンを何回も繰り返しリプレイして、明らかに審判のミスであることを映像で批判する。フィリッポ・インザーギのように、オフサイドラインぎりぎりのところにポジショニングしてそこから一瞬の飛び出しでゴールに襲いかかるといったプレースタイルの選手もいるので、その判断が勝敗に大きく左右するのだからある意味では当然である。いい時のロナウドもそういうプレーを連発していた。そしてテレビは惜しみなくリプレイをして、時には審判ではなく、インザーギロナウドの味方になったりもしたのだ。きっと単純に「メディアが権威的なもの(正統性をふりかざすもの)を批判する」という精神がごく普通に根付いているのだろう。


しかるにJリーグの試合を放送する日本のメディアは、ここでも例のオカミ崇拝奴隷根性を露わにしており、微妙な判定の時ほどリプレイをしない(昨日の試合は現地で観たので放送でどうだったかはわからないけど)。それはつまり、映像というまぎれもない「事実」によって「正解」を映し出してしまうことで、審判の誤りをはっきりと認めさせ、結果として審判の権威を失墜させたり、選手やサポーターの不満が増大してトラブルが生じるといった混乱を避けるためだろう。お偉い方々が用意して、それを下々にいる我々が金を払って享受するという、トップダウン型の「日本的エンターテインメントショウ=Jリーグ」にとっては、批判精神は邪魔者以外の何ものでもないのだ。そこで我々サポーターに要請されているのは、雨だろうが風が吹こうが寒かろうが毎度毎度お金を払ってスタジアムに足を運ぶし、スポンサー会社の提供する品々もちゃんと買う、でも不満はできるだけ言わず、ビールはたくさん呑むけど暴れたりはせず、せいぜいゴール裏でヤジを飛ばしてストレスを解消する、といった「純然たる消費者」的な態度なのである。それが、今のJリーグが推奨する日本人サポーターの理想像であろう。だが当然ながらそんなものは糞くらえである。我々はいつまでも喜んでオスワリやチンチンをする愚かな犬ではない。


もしかしたら、Jリーグから放送業界に「審判のジャッジにはコメントしてはいけない」という通達(不文律)があるのではないか、と思うほど、際どいシーンのリプレイはテレビでやらない。それは、サッカー解説者やアナウンサーがほとんど審判のジャッジに対してコメントをしないところにも現れている。もちろん、メディアがよくやるように、くだらない自主規制という可能性もある。(←だとしたらほんとにくだらないですよマスコミのみなさん!)


さて、精神論がお好きな日本のお偉方は、例に漏れずやれ近頃の若いもんには何々が足りないといって敗北をそのせいにしたがるし、理論的な積み重ねを努力してやるつもりもないから上から適当にものを言うしかない爺さん連中だからまあそれもいたしかたないが、ほんとに日本のサッカーの質を向上させたいと思っているのなら、審判のジャッジに対する放送のタブーなんてものは早々にとっぱらうべきだ。微妙な場面こそリプレイせよ! 何度も繰り返しリプレイして、審判やサポーターや選手たちの多くの目に晒されることで、一瞬の判断のレベルは高まって行くものではないか? そうすることで初めて、それこそお偉方たちが口を揃えて仰るような、「ゴール前での得点感覚」といったものも研ぎすまされていくのではないか? 


鎖国でもしている国のリーグならトップダウン型で「審判はエラいので何も間違うわけはなくて絶対正しいので文句を言ってはダメだ!」というごまかしを言っても効くかもしれないが、もはやそんな時代ではなく、我々は自由に古今東西のエキサイティングでファンタジックな質の高いプレーを観られるのである。あるいはすでに観たことがあるのだ。なのに、Jリーグの中だけでそんなくだらない審判の権威を守ってそれで秩序を守ろうなどと考えていてもしょうがあるまい、と思うけど(っていうか問題のあった審判を香港だかどこだかに懲罰として研修に行かせてる時点でそんなものはとっくに崩壊していて今の審判の中にかなりレベルの低い人がいるということを露呈しているわけだけど)、まあやむをえないとはいえ、テレビとかJリーグの協会だとかは前にも書いたけどやっぱり金で動いているので、そういうふうに「開放」されて批判精神の吹き荒れる自由な土壌に変化していくことを必要以上に恐れているのかもしれない。でもむしろオープンにして「多くの審判の目」に晒されたほうが、審判も、また選手たちも、そしてもちろん観客だって、余計なストレスを貯めないでプレーに集中できて、全然いいと思うんだけどなー。


特に、オフサイドとかファウルとかの判定はそこでプレーを止めてしまうわけで、その分、流れの中からチャンスになるシーンを潰してしまい、それはいきおいゴール前での攻防という最もしびれる場面を激減させることになるのだから、サッカーやってるほうにも観てるほうにも、それは重大な機会の損失と言わざるをえない。

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