My name is...primitive!


いやー、快快の『MY NAME IS I LOVE YOU』を日曜に五反田ソニックで観て、というか体験して、いろいろ思ったんですけどとにかく時間がないのでここは素直に「楽しかった!」とゆってみたい。兄はその2日前に行われた公開ゲネプロにも行ったみたいなんですけど全然まるで変わってたみたいで。日曜は会場に入る瞬間からもうかなりいい感じの雰囲気ができあがっていて、前説から含めてとてもくつろげる、楽しめる、そして心を動かされる、時間と空間でした。正直快快のみんなをそんけーした。


たぶん快快の公演は、いわゆる「演劇」というそのパッケージにはほとんどこだわりがないし(推測だけど)、お客さんが来て帰るまでのその時間を一緒に楽しみましょうーという感じからするとむしろ「パーティ」に近いんだと思う。会場で売ってるこーじくんお手製のカレーだとか、ちはるさん、こーじくん、天野さんによる5分たらずの短編劇だとか、あと奥のほうに作られてたなぜか異様にくつろげる部屋だとか、DJだとか、っていうのをひっくるめて快快の公演なんだって気がしました。


でも肝心の劇がないがしろにされているとはまったく思わないです。むしろめちゃめちゃ真剣勝負。てか今回は英語ってことでかなり苦戦してたみたいだけど日曜のソワレはすごくよかった。まず空間の使い方が、舞台があんなに狭いのにすごく広く感じられるとか。そして英語と日本語を使うことによっていろいろ遊べるということに果敢に挑んだこととか。たぶんそれはまだいろいろやれる余地はあるんだろうけど。うん、でもなんか、狙ってるところがものすごくプリミティブっていうか、そもそも私たちが喋ってるのって、これ何?みたいな、愛って、何?みたいな、それを、実は言葉とか愛とかってものに対してものすごい敬意を持って描いてる(&演出してる&演じてる)作品だと思いました。やってることはすごく複雑だと思うんだけど、中心がない、だから、いっこいっこのコミュニケーションが大事で、そこに時々魔法が降りてくる、みたいな。(あーごめんなさい、何ゆってるかわかんないですよね)


そんで私は「みっともないもの」が好きだってこないだ書きましたけど、それはかっこわるいとかじゃなくて、愛せるみっともなさというか、しかもそれが、全然露悪的じゃない、たぶんものすごく自然に、存在してる生きてるっていうか、いますよね私、ぼく、君も、あなたも、いますよね生きてますよね、みたいな、そういうことは直接は言わないけどどっかにある、と思う。劇中の、テクノくんもはかせもハードもソフトも未来人も、みてるとなんかそういう感じがしてくる。してくるようになった。さらにいうと、快快は衣装から美術からVJから音響から含めてすごく洗練されてるんだけど、その愛される部分は決して捨ててないし、そもそも捨てるという感覚さえない、のだと思う。なにより彼らが彼らを愛してる。でもそれは自己愛ってことじゃないよ。その点において、彼らは重力を超えている(のに、ふわふわとかじゃない)。それが楽しい。なんだかどこへでも行ける気がする。そしてたぶんどこへでも行く(笑)。ちなみにこーじ君が被ってた帽子は、、、という裏話もあるんだけどまあそれはそれということで。


はいはい印象ばっかり書きましたー。もう戻らなくちゃ。あ、私はわりと早めに帰っちゃったんですけど、会場に残ってた兄によると土佐さんが私(妹)のこと探してくださってたみたいで、お会いできなくて残念でした〜、という感じです。ちなみにwebDICEで連載中の土佐有明さんの「(ほぼ)初日劇評」は第2回がアップされてますね。お題は柿喰う客の『恋人としては無理』。演劇外の情報がいろいろ混入してくるっての、面白いと思います!