極私的な導線


昨日は夜帰る時にちょっとしたトラブルが家の周辺であって、ひさしぶりに激昂した。でもそれは誰が悪いとかではなく、やはり楽しいけれども緊張感が持続した日々であるということ、そこからくる疲労、といったものが蓄積していたのだろう。自分が正しいなどとはこれっぽっちも思わない。正義とか筋とかいったものとは無関係に発生する怒りというものを、今は認めたい。


気を静めるために音楽聴きながらルソーの『孤独な散歩者の夢想』を読んだ。なぜルソーかというとたぶん『少年B』をまた観た影響で、ドストエフスキーの『地下室の手記』(新訳)とどっちにしようか迷った結果、古い訳文を好ましく思ったのだった。生きているものたちの熱は毎日じゅうぶんに浴びているから、死んだ人、それも半分気が狂った人の文章を今は読みたい。単純に快楽として。じっさい、夢と音楽とルソーの妄念が入り交じって気持ち良く、少しばかりトランスした。




今朝は早起きして集中して仕事。このあと14時から岸井大輔さんたちとアゴラのロビーで、「キレなかった14才♥りたーんず」の6演目について語り合うかもしれません。他の人の話が聴きたいので仕事が一段落したら行くつもりではあるけれど、個々の作品について外野で語り合う意味があるのかと、今は少し疑問も。というのは、高みからそれを評するような言葉ではなく、純粋に目の前に起きていることと自分とのあいだに、極めて私的な導線を引くための言葉こそが今は必要だと思っていて、そこがなければ全ては上滑りしていくだろう、という感触があるのです。ただ岸井さんが今毎日ロビーでやってることは、すごく個人的な話を聞き出してそこから作品を再構築する、という作業だから、そこにはとても興味があるし、やり方は少し違うけど、もしかしたら目指しているところはかなり近いのかもしれない。わかんないけど。


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