快快@斉藤湯


7月3日、日暮里の斉藤湯という銭湯に快快のイベントを観に行きました。正直体調もあんまりだったんでパーティって気分でもないし、直前まで迷ったんですけど行って良かったです。いかにも銭湯らしくリラックスして楽しく過ごさせていただきました。きっとこれから海外ツアーに出かける快快にとっても、景気付けになったイベントだと思います。


狙ってやったのかどうかわかんないけど、ポップでアーティスティックと思われがちな領域を、おじいちゃんおばあちゃんの庶民的な日常空間(銭湯)に接続することにも成功していたし、そもそも番台(銭湯の顔)からしてまったり馴染んでいて完璧でした。個人的にはラジコンでこうじ君のティンティンを追うことにハッスルしてしまいましたけどね。やっと観られた中林舞×野上絹代の新ユニットの演目、それから大道寺梨乃の2本目、東京落語的世界のフィールドワーク?には新鮮な驚きがありました。などなど。いや全部面白かったんですけど。紙芝居とか見たの久しぶりかも。とにもかくにも、快快という謎のパフォーマンス集団が、やはりタレント豊富であるってことをあらためて明らかにしたと思います。




雑誌「りたーんず」の取材の時に鈴木志郎康さんと少しお話しして、ああー、快快のバックボーンには多摩美という存在が、学校っていうよりかはフィールドとして大きくあるんだな、と感じました。それは全然「教わった」ものではなくて、快快自体がそこから出発してみずから「学びとって=遊んで」育んできたんだろうなっていうか、その結果として実は思想的な厚みがあるというか。厚み、って言葉は似合わないけど。


それと、これは快快をごくごく初期から知ってるわけではないので大部分推測ですが、篠田千明という存在を通して膨らんできた(広がってきた?)部分もやっぱり快快には大きいんじゃないかってことを思ったりもします。どうしても表現者としての側面が彼女の場合目立つけども、外のものを吸収する触媒というか、フィルター? アンテナ? 窓? みたいな。なにげに読書家だし。音楽好きだし。発信力が強いように見えて実は吸収力が凄い。そこから快快に流れ込んでるものも多いと思います。


とはいえ、快快には中心が存在しない。そこが画期的だし、面白いとこだなーと思います。中心のない世界に、いくらでも代替可能な一個の人間として産み落とされちゃったという事実を、それでも切なく、楽しく、軽やかに生きていくって姿勢というか、そのある種のシーンみたいなものについては、批評的にももっと語られていい気がします。もうすぐ終わっちゃう「ゼロ年代」を表現する特徴として、「サバイブ感」ってのが言われたりしたしある種のリアリティを獲得してはいたんだろうけども、内側と外側、友と敵を作りながら生き延びていこうとする「サバイブ感」とは別種の、脱力してるのにある種の力強さを振りまきながら生きてくって感覚も、やっぱり胚胎していたし、ゆっくり根を張って育ってたんだってことを証明してるというか。僕はそのほうがしっくりくるというか、フツーだな、と思います。


まあなんにしても、ひとつ海外でも足跡を残してきてくださいな。



日暮里

あと全然関係ない、個人的なことですが、あの会場の近くは中高6年間を過ごした場所で、道灌山とか、尾久橋通りって地名にも反応してしまうくらいなんで、よし、と思ってイベント前に西日暮里から日暮里まで歩いてみました。そして、ほとんど憎しみにも近いような特別な感情を自分はあのあたりの土地に対して抱いているのだな、ってことを再確認しました。ほんと愛と憎しみは紙一重だわ。日暮里に舎人線が通っててびっくりしたけど、再開発ってほどではないのが日暮里らしい。ただ、まさにあの場所にあった、ひとつの愛すべき風景がなくなりました。たしかね、探偵事務所があったんですよ。うろ覚えだけど。あと当時、不良たちの溜まり場になってた雀荘が未だに同じ名前のままであった。看板だけは新しくなっていた。あの婆さん、まだ生きてるのかなー。めっちゃ口の悪い婆さんだったんだけど、人生の酸いも甘いも知り尽くしたような顔をしながら、たまに店番してる自分の息子に対しては少し甘いようなところがあった。まあ、あの婆さんの毒舌に晒されるのは結構好きだったんですけどね。ビンで飲むコーラがうまかった。あとカップラーメンと。