ハイバイ「て」(再演)プレビュー


ハイバイの『て』のプレビュー公演を観に行きました。今回は池袋の東京芸術劇場。小ホールとはいえ、去年の初演より心なしか劇場が大きくなったと思うので、密度として最初は少々薄いような感じもしたのですが、後半にいたっては完全に空間が物語に呑み込まれてしまって、全然良かったです。マイナーチェンジはいろいろありましたが、初演に引き続き、涙してしまいました。


まあぶっちゃけ、あの『て』の家族は、うちの家庭そっくりなんで、あのお姉ちゃんが「家族全員が揃う」ことにこだわるのも、兄のニヒルっぷりも、弟の熱い怒りも、全部わかる。でも、『て』を観て泣けるのは、別にそこに共感するとか、構造の見事さに打たれるってことだけでもない気がします。むしろ、よくわかんないことがいっぱい取り残される戯曲だとも思うし。


だいいち初っぱなの、兄弟がおばあちゃん家の応接間をめぐって喧嘩しているシーンで、すでに超イヤな会話であるはずなのにそれが不思議と観ていて心地よくて。泥っぽいんですけどね。そういえばハイバイは『リサイクルショップKOBITO』を観た時も、最初のおばちゃんたちのザワザワやってるシーンだけでもう楽しくて、えんえんそれが続いてもいいと思ったんでした。要するにハイバイの作品を駆動させているものは、物語の構造というよりも、実はそういった変な会話とかイヤな気の出し方(?)である気がする。下品さとか、泥っぽさとか、薄汚れた気配とかごわっとしてるものたちが、ちょっとかわいくデフォルメされているような。つまりあの、土産物としてもたらされる巨大なマリモッコリのような……。え、これどうするの? しょうがないから放置で。解釈ナシで。みたいな。でも存在感がなんかヤバいっていう。それがなんか、生きて、存在して、血が流れてる、ってことのような気もするんですよね。(そういう意味で、ハイバイおよびその周辺にはいい役者さんが揃ってるなあ、って)


岩井秀人という劇作家/演出家は、主題としては自分暴露みたいなことをやろうとしているにも関わらず、結果的にはいつも「失敗」して何か面白いものに変化(へんげ)してしまう。その時、物語として全然露悪的にならなくて、偉ぶってるそのイヤなやつ(父親とか牧師とか演出家とか)でさえ、どこか滑稽に見えて親しみをもててしまうのはなぜか? それはもうハイバイのお家芸というか、岩井秀人の天性の才能というか、あるいは、業の深さみたいなもののなせるわざなんですかね。


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