陰口説教について


ふたたびブログのデザインを暗黒バージョンにしてみた。ここ数日、ようやく性格悪いモードになりはじめているけれど、もう間に合わないかもしれない。やっぱり、今の体力だと二ヶ月に1本、というのは難しい。仕事しながらだし。最低三ヶ月くらいは欲しいかも。でも来年は体力を底上げしよう。もっと野蛮になろうと思う。


まだ全然あたまが編集脳になっていて、つまり理知的な、理屈っぽいところを捨て切れていない。もうほんとにそれがうんざりする。もっとほんとは飛んでいいし飛べるはずなのに、何をこんなところでぐずぐずしてんだか、って感じ。最近観たいくつかの舞台のこととか、その理論やイメージはぜひ応用したいと思うけど。うーん、とにかく時間がない。


さっき、カフェで隣の席に、その場にいない人間(おそらくは若い、まだ十代くらいの女の子)に対して説教を垂れているジジイと、それに媚びを売ってお追従して陰口叩いてるババアがいた。「現実をみろ」と言いながら自分の半径3mの現実しか見てないタイプ。こういう人間にかぎって、実は昔「夢」を追っていて、その「夢」が叶わなかったものだから若者を抑圧したりする。「人生をなめるな」とジジイは言っていた。「殴りたいよ」とかいって貧乏ゆすりしてた。しかし、それはあんたらの人生であって、その若い女の子の人生ではない。たしかに女の子は多少の「夢」を見ているかもしれないけれど、それを「夢見る夢子ちゃん」だと切り捨てることがどうしてあんたたちにできるんだろう? どうしてあんたたちは、他人の、それも若い人たちの人生に干渉しようとするのだろう? 顔を見たら、ものすごい醜かった。ハンサムかブサイクか、といった造形の問題ではなくて、こういう陰口説教を叩いてる人間の顔はやはり醜かった。今年見た顔の中でもっとも醜悪だ。ほんと、来年からはこうした人々がいなくなってほしい。死ね、とまで言わないがせめてそんな顔を世の中に晒さないでほしい。穢れるから。この世の中が。でも、要するに、こういう人たちは、他に話題がないのだよね。若くて、自分より弱い人の人生をこねくりまわすよりほかに、趣味もないんだよね。もっと自分のことに没頭すればよいのに。良き老後を送ろうとすればよいのに。そしたらたぶん、もうちょっと愛されるだろうに。なんか、こんなふうに悪口しか言えなくなって、孫からも愛されないであろう人生って、すごく悲しいだろうなと思う。でも、自業自得なんだからね。