世界の半分は虚無に呑まれる


以下はその、「コトハジメ」で述べた、世界の半分が虚無に呑まれるまでの夢の話です。十中八九時間の無駄なので、お暇な方だけ読んでください。つまらないからと言って怒らないように。しかもどっかで見たことある話のような気もしますが、そこはご愛嬌。


 
 


世界の半分が虚無に呑まれるという事実が朝火新聞の一面を飾ったという話は、世界各地でスクープされた。やがて、世論の激しい追及を逃れられず、NAZAがその事実を認めた。太陽の黒点から染みだしてきた虚無が、1年後、おそらくは次の正月を迎えると同時に、世界の約半分を呑み込んでしまうというのだ。


衝撃の事実は世界各地を駆け巡り、不安に耐えられない、どちらかというとネガティヴな人々は、太平洋や地中海や北極海に身を投げてさっさと死んだ。生き残った比較的ポジティヴな人々は、生きのびるために、世界の残り半分に向けて移住を開始した。当然、もともとそこに住んでいた人たちと移住者たちとのあいだで、僅かな土地をめぐって紛争が頻発した。あらゆる都市の治安は急速に悪化し、銃乱射事件の犯人は別の銃乱射事件によって殺害された。警官は犯人とおぼしき人物を見かけたら即座に銃で撃ち殺してよいことになり、侍たちは刀を持つことを許された。ネットカフェにひきこもったまま衰弱死する青年たちが続出した。大人たちもそれに倣って衰弱死した。ゲームは飛ぶように売れた。あるいは販売店から略奪されたり、小学生がカツアゲされたりした。一人っ子政策どころか子供を産むことを禁止する時限立法が各国で相次いで制定され、学校や職場や図書館でコンドームが無料配布されたが、それはコンドーム会社が各国の有力議員を金を使って動かした成果でもあった。公的資金が大量のコンドームに投入され、コンドーム会社はどんどん肥え太っていった。彼らの台頭を恐れた厳格なカソリックの議員たちは、十字軍と宣教師の一団をハーフアフリカやハーフアジアやハーフ南米に送り込む有事法案を可決したが、結果的に教会が狭い土地の中にモスクや寺院と隣り合わせに乱立したために争いが絶えず、やがてその中から、その土地土地の土俗信仰とも結びついたハイブリッドな神々が誕生した。


日本では「オタクとニートに平和を! 貧民連合」、略して「オニ連」が都庁や国会議事堂を取り囲んで一時騒然となった。しかし、多摩地方と小笠原諸島を除く東京のほぼ全土が虚無に呑まれてなくなることが日本の優秀な気象庁の調べによって判明すると(天気予報がはずれることはありえなかった)、セーラームーンハルヒヱヴァンゲリヲンの衣装に身を固めたオニ連の闘士たちは、「新天地で会おう! 逝ってよし!」とお互いの健闘を称え合い、あとは散り散りに別れて、それぞれの遠い親戚のもとへと落ち伸びていった。遠い親戚がいない連中はオレオレ詐欺をはたらき、息子の妻の弟の子供だとか、娘の友達の同級生の姪だとか偽って難を逃れた。かつて類を見ないほどの大規模なUターン現象が生じ、高速道路は渋滞のために麻痺。人々は車を捨て、リヤカーや家畜を引いてとぼとぼと歩いた。街道は牛や馬や人の糞であふれ、そこから新種の伝染病が発生し、瞬く間に3000万人が死亡した。




私はといえば、「移住先はもう見つかったか?」と友人に訊かれて、面倒だから「まあね」と答えたら「そうか」と言って友人は去っていった。そんなものだった。それでなんとなく気落ちして毎日酒を飲んだ。パニックを起こした近所の酒屋のオッサンが大事な酒をまるごと置いて逃げていったので、ビールもワインも焼酎でもなんでも飲み放題だったのだ。私は現実から逃避して酒に溺れた。最初のうちは楽しくて酒につきあってくれた連中も、ひとり、またひとりと現実に目覚めて消えていった。「こんな生活をいつまでも続けていてはいけない」と彼らは言った。彼らは正しかった。まっとうだった。そう気づいていたにも関わらず、私は酒を手放すことができなかった。そしてとうとう、明日世界の半分がなくなるというその日になって、今や繋がりのある最後のひとりとなった女友達の家を訪ねたら、書き置きだけが残されていた。「あなたといるのは楽しかった。でもごめん。私には待ってくれている人がいるから」。私は彼女と寝なかったことを少し後悔した。もしも彼女と寝ていたら、なにか違う展開が待っていた可能性はあったのだ。しかし、とにかく彼女は去った。彼女ばかりでなく、東京にはもう誰も残っておらず、あらゆる可能性は過去のものとなっていた。遅すぎたのだ。私はいつだって遅すぎるのだ。家に残っていた最後のビールを飲み干した私は、彼女とのセックスを想像しながらマスターベーションした。アレをした後はたいてい虚しいものだが、それは特に際立って救いようがないくらい、激しく虚しいマスターベーションだった。すでに虚無が近づいてきているのかもしれない。どこかに行かなければならないと思った。私は路上に出た。


誰もいなくなった東京は廃墟と化していた。考えてみたら今日は大晦日で、もともと、東京に人は少ない。けれども、まったく人がいない、というのは想像をはるかに超えていた。あたかもバーチャルに創造された架空都市トーキョーの中に迷い込んだようだった。新宿の伊勢旦には商品がほとんど手つかずで残されていたので、ふだん着慣れない高価でシックなスーツを選んでみた。さらにダイヤをひとつくすねてみたが、なんだか分不相応な気がした。それで、スーツもダイヤもなにもかもぜんぶ道端に捨てた。犬も食わなかった。野犬はもちろん、カラスさえもいなかったのだ。それから紀ノ邦屋で文庫本を買って(これはレジの脇にちゃんと代金を置いた)、誰も乗っていない山手線に乗り込んだ。山の手線は自動運転で相変わらずぐるぐる回っていた。アナウンスの流れない車内は異様なくらい静かだった。私はそこで岩波文庫を読み始めた。そしてすぐに、どうして新潮文庫フランス書院文庫にしなかったのかと後悔した。やがて岩波文庫にも飽きて、今は完全に無意味となったアンアンや缶コーヒーの車内広告を眺めたりしているうちに、日が沈み、夜も更けていった。


23:55。突然電車が停止し、照明も消えた。新大久保と新宿のちょうど中程だった。ここが、最期の場所なのか。外を見ると、ラブホテルの看板のエキゾチックな灯りだけがまだ点いていて、それが暗闇に微かな光をもたらしてくれている。ここにはもう、誰もいない。生きているものはいない。あのホテルの中でさえ、もう誰も愛し合ってはいないのだ。エッチな性愛もプラトニックな恋愛も、もはやここでは、すべて終了していた。ここでは物語が生まれない。そう気づいた時には、もう遅い。山手線ではどこにも行けないのだ。せめて、中央線に乗っていれば! あるいは湘南新宿ラインだったら! まだ何かしら、別の可能性を手に入れることができたかもしれなかったのに、あらゆる可能性を私は自ら捨てて来たのだ。そしてもう間もなく、最後の新年を迎えるだろう。あの巨大なカタストロフィーがやってくる。ケータイのアラームが0時を知らせた。


虚無がやってきた。


(おわり)