テルテルポーズの赤い糸の話



佐々木敦さんがブログで紹介してくださったのをご覧になって、リンクから飛んでいらした人のために書きますが、「テルテルポーズ」創刊号には佐々木敦インタビューが載ってます。置いてもらえる場所が決まったらこのブログでお伝えしますので、少しお待ちください。


ちょっと時間ないので走り書きになりますが、「好奇心と多様性」というキーワードが佐々木さんのブログにありました。それは気になってる言葉というか、まさに僕のベクトルは今、そこに向かっているようです。先日のポナイトのトークでも少しそれに近い話になりましたが、すべての情報がウェブに網羅されるなんてことは遂にありえないはずだし、どんな優れた「総合誌」であってもそれですべての情報をフォローできるわけはなく、むしろ、そうしたものからこぼれ落ちていくものの中にこそ、面白いものが結構あったりする。だとしたら、いろんなものをボコボコと、とにかく作り出して生み出してそれらを繋げたり切断したりまた繋げたり、ってことを繰り返していくしかないと思うんですよ。懲りもせずに。


最後のほうで「責任」の話をしたのも、ほんとに、誰かが残さなければ様々な情報(作品やノイズやゴシップを含む)は消えていくのだし、編集者であれ作家であれ学者であれ、彼らの(私たちの)仕事の大きな役目のひとつは、そうしたほっとけば消えゆくものたちをきちんと形にして残したり、世の中に(他者に)紹介していくってことではないか、などと考えているからです。「テルテルポーズ」が向かう先も、おそらくはそっちの方向になるでしょう。


もっとも、佐々木さんへのインタビューでも書いたように、僕自身の好奇心と多様性なんてたかが知れていて。でも自分だけでは足りないからこそ、他の人を巻き込んで小さなメディアを作ったりするのかもしれません。ちなみに「テルテルポーズ」は発案も含めて実質10日間くらいで作ったんですけど、やればなんとかなるし、楽しいわけだし、何かは起こるだろう(やらなければ何も起こらないだろう)ということは言えるわけで、とはいえそれは、表現欲とか野心とかセンチメンタリズムとかノスタルジーとかダンディズムとかロックンロールとかアナーキズムとか、そういうものとは全然違うところから生まれてるんです。だから「テルテルポーズ」はほとんどペシミズムとかニヒリズムの領域に近いんですけど、でもそうした言葉が一般的に喚起するような全然ネガティブなイメージではなくて、むしろ無と思われるところから肯定的に何かを生み出すような逆転劇というか……って俺は何を言ってるんだろう? わかりにくいですよね。あえて言えば、それは必然性とか運命とかいった領域に属することかなって気がするんですけど。や、ほんとに僕は酔っぱらうとすぐその話をしちゃうんですけど、出版って基本的に紙の無駄だと思ってるんです。だから、それでもあえて出版するってどういうことだろう、ってことをずっと考えていて……。だから必然性ってことにはこだわりたいっていうのと、あと運命といえば「てるてる坊主」の首にかかってる糸って、赤い糸なんですよね。運命の赤い糸。それをきっちりオカヤイヅミさんが描いてくれたと思います。そうした依頼をしたわけではないんですけど。


僕は残りの人生をできるだけ好きなように(好きなことができるように)生きるつもりだし、そうすることが実は「社会人」としての責任だとも思うのです。誰かの言いなりになったり、まわりの顔色を窺って「自分」や「自分にできること」の枠組みを設定することが「社会人」だと考えるのはそれこそほんとに誰かに刷り込まれた大きな事実誤認だと思うし、むしろとても幼稚なことではないかと思います。そんなのがオトナだと思われたらそれこそヤングエイジに笑われるし彼らを無闇に失望させるだけですよ。僕は、安易な希望なぞ語りたくないと思ってますが、でも自分よりも歳下の人間を失望させるような真似はしたくないので、多少かっこわりーとか思われてもいいから彼らが通りやすい道は作っておきたいとか思ったりもします。*1


*1:あ、これは古本屋ほん吉のお姉さんが言ってたセリフに近いな……。