テルテルポーズと「批評」の関係


自分で言うのもなんですが、テルテルポーズのブログがかなり充実してきました。そちらのリンク先の右上の「執筆者紹介」ってところからプロフィールも見られます。創刊号の反省点として、誰が書いてるか読者にはさっぱりわからなかったというのがあるので、というか、「誰が書いてるか、ではなくて、何を書いてるかで見てほしい」という気持ちもあったので確信犯的にプロフィールを載せなかったのもあるのですがそれはさすがに理想が過ぎたというか、土台ムリ、みたいな感じだったので、これで少しでも今後のテルテルポーズの世界が親しみやすいものになってくれたらと思います。


ちなみに2号は目下進行中ですけども、かなりいい感じになってきました。ひとつだけ、あちらのブログにも少し書いたのですが「どういう質の言葉を載せるか」ということをずっと考えていて、実は今のところ、結果的にいわゆる「批評」は載せない方向になっています。2号に参加してくれる葛生賢さんはまさに批評の人なわけだし、創刊号からいるダビデさんや不可読空気斎も場所によっては批評的な文章を書いたりしていて当然実力的教養的にはあっさり書けてしまうはずですが、今いわゆる「ネット論壇」まわりで流行しているようなタイプの(そしてどういうわけか、ほとんどの小説家が苛立ち、商売っ気を抜きにすればかなりの数の編集者たちがバカにしている言語にも関わらず、いまや文芸誌でさえ浸食されつつあるという不可思議なっていうか気持ち悪い現象を起こしている)せせこましい「批評」とはテルテルポーズは全然違うことをやりたいと思っているので、あらかじめ「批評家」を僭称する者のフレームありきでそれをもって作品を裁断/断裁する、というような、愛もへったくれもなくどんどん世の中をつまらなくさせてしまうような「批評」だけは絶対にやりたくないと思ってます。そういうのとは別の言葉のありようを模索したい、ということは前から考えていたし、おそらくテルテルポーズを作ったのも動機としてそういうところから始まっています。(これはかなり僕としてはマジに考えていて、仮に「エクス・ポ」にそのような「批評」が載るようなことがもしあれば――絶対にないと思いますが――その時は僕はなんとしても反対するかもしくはエクス・ポを辞めます、ということを前々から佐々木敦さんには言ってたりします)


といっても、批評がダメだ、みたいなことは僕はもちろん全然思ってなくて、例えば名前を挙げさせていただくなら大谷能生さんなんかは、単に五感が鋭いのみならずかなり明確なヴィジョンがあるというか、や、ヴィジョンといってもそれはフレームがあるという意味ではなくて批評するその言葉の先に立ち現れてくるものがちゃんとある人だな、ということは文章を読んだり行動を追ったりすると感じるのですが、良質の、心ある批評の媒体としてはすでに「Review House」という大谷さんも加わるミニコミ誌(?)があってそちらには到底リソース的にかなうものではないし、また僕自身はそれとは少し別なことをやってみたい(これは批判的な意味ではなく)と思っているので、では批評とはなんだろうか、何ができるのだろうか、その裾野は?ということを考えて、するとテルテルポーズとしてはいったん「批評」をその紙の上から締め出すところから始まるのかな……ということなんだろうと思います、後づけ的というか現在進行形的に思考をトレースしてみれば。


7月に創刊した時点ではまだ、そういうことをうっすらと感じていただけで自分としても明確な自覚はなく、とりあえず始めてみるか、というのが正直なところだったので、流行の「批評」がいろんな人を苛立たせながらそれにも関わらずじわじわとプレゼンスを増していくという気持ち悪い現象(これやっぱ冷静に考えてみてかなりおかしい=異常/滑稽=ですよ)に対して、残念ながらまだオルタナティブを提示できるくらいの強さというものを個々の文章のレベルでも媒体の器のレベルでも持てていなかったと思いますが(それは個々の書き手の問題ではなくて完全に僕自身の編集者としての力量の問題です)、昨日今日あたりで何人かの人からメールをもらって、それを読んでいて「あ、これはいける」という確信を得ました。ちゃんと違う場所はあったんだなーということを、僕自身はっきりと感じることができたのです(それは例えば「俺インターネットが明日からなくなっても全然生きていけるわー、不便だけど」みたいな感慨だったりもします)。そしてあらためて、やっぱこのテルテルポーズという媒体は形を変えながらでもいいからちゃんと続けていこうと思ったのは、上のような考えが根っこにあるんだなと。これは第一期エクス・ポに伴走する中で考えてきたことでもあります。


最終的に2号が仕上がった段階でテルテルポーズの誌面がどうなっているかはわかりません。あんまり「こうだ」という枠を決めてしまいたくもなくて、むしろご縁で転がっていけばいいやという気持ちのほうが強いので、もしかしたらいわゆる批評的な文章は載るかもしれないし(でもけっして「批評」ではないだろうよ)、まあ、胸を借りるような気持ちでどーんとやってみましょうか、という感じっす。11月9日の文学フリマには必ず間に合わせますんでよろしくどうぞ。



P.S.
あ、ちなみにこれをテルテルポーズ執筆陣の人々が読むかもしれないので言っときますが、あなたがたはまったく上で書いたようなことを気にする必要ないです。というか、そもそも「批評」とは無縁のところで生きてる人たちというかまったくそんなもん眼中にないと思うので全然気にしてないだろうけど。まあのびのび好きなことをやってくださいな。