世界の濃淡とか


なんということでしょう。兄が忙しいどころじゃなくて、一緒になって私まで飛び回ってたらブログ書くヒマなんてないじゃん! ということに今さら気づきました。まあ、走り書きってことでやってみます。


昨日は新宿に新しくできたコクーンタワーのブックファーストで、佐々木敦×大谷能生のBRAINZ本の刊行記念トーク、これが非常に面白かったです。ようするに、私が思うに人間の中でもっとも根源的な欲求、とまでは言わないにしても非常に強い欲求としてあるのは、世界を把握したい、知りたい、っていう欲求だと思うのです。その時に、箱庭的にデフォルメして世界を把握する、わりと矮小化しちゃう、というやり方もあるとは思うんですけど、批評の向かう先はそれだけでは絶対にないはずで、いろんなやり方があると思うんですよね。私の場合気になるのは、世界の濃淡、ってことで、濃いからいいってことでもないんですけど、人間の営みとか、関係とかが濃くなることってあるじゃないですか。存在とか。そうすると、薄い部分もできるわけで、そういう濃淡というものが、最近は気になるんです。とても。何が言いたいかっていうと、情報が膨大に、フラットにある時に、箱庭的にそれを把握して処理する、ってことじゃなくて、全体に濃淡をつけていくこと、それによって世界を絵画のように、あるいはサーモグラフィのように把握するってこともできるんじゃないかと思っていて、それはもう、白と黒じゃないんです。全体に白でもあり、黒でもあるような、ただ濃淡だけがあるという。もちろんモノクロじゃなくて、カラーだっていいんですけど。そういう話を直接トークでしてたわけじゃないんですけど、ヒントがあったような気がして、それでそう思ったんじゃないかって気がします。あとこないだ観たモモンガ・コンプレックスのダンスのイメージとかもたぶんあるなー。


兄は打ち上げに行って、私は本屋をブラブラしたり、お茶したりしてさあ帰ろうかって時に、ゴールデン街で飲んだくれている兄に呼び出されてまた合流したんですけど、すでに主賓の二人はおらず、なぜかフランスから来た映画撮ってるっていう男の人がいて、その彼女(?)さんがフランス語で翻訳して私たちの言葉をその彼に伝えてくれるんですけど、そのフランス人男性はこんどは英語で私たちに話しかけてきて、っていうふうな感じでした。あと隣には台湾から留学してきてる人がいました。しかしみんな意外に(?)若いのではないかと。兄につられて、私も少々飲み過ぎたようです。




そして今日は映画美学校で、World cinema battleというなぜか好戦的な名前の企画上映があって、瀬田なつき『とどまるか、なくなるか』(2002)、筒井武文『ゆめこの大冒険』(1987)、万田邦敏『四つ数えろ』(1978)『SCHOOL SOUNDS』(1979)を観ました。これはどれもこれも収穫でした! 映画から楽しさが溢れ出てくるような。そんでそのままティーチインみたいになって、兄もなにやら、シネフィル学生たちのあいだに混じって畏れ知らずの質問などしてました。でもなんか雰囲気いい感じで。シネフィルの人たちってもっと怖いのかと思ってましたよー。(←とか書いたら怒られそう。他意はないのです。たんに実態を知らなかっただけっていう)


さらに夜は、2月14日からユーロスペースでレイトショー公開される山岡大祐『ロストガール』の試写会へ。むむむ、こ、これは、、、。兄としては(いい意味で)かなり思うところあったらしいです。この映画については、また後日あらためて。