ずっと観たいと思ってた池田将監督の『亀』をトリウッドで観ました。これ、すごい……っていうか観ているあいだやっぱこの人は天才じゃないかとずっと思っていた。以前、やはりトリウッドの「Real Fiction」という企画上映で池田将監督の『くらげ』を観て、なんかちょっとこの人ヤバいかもって思ってたんですけど、やっぱりヤバい人でした。


ここで描かれている世界観自体は、正直、私は(たぶん兄も)そこから逃げ出したいというか、できればそこにいたくないと思うような世界なんですけど(ってのは私たちにとってとても馴染みのある感じがしてしまうからなんですけどね)、なのにスクリーンの前で虚心坦懐になってしまうというか、ひたすらカメラを通してどこか壊れた人間たちを見続けさせられる、観てしまう、そこになんらの価値判断もなくて、寄りもせず引きもしないカメラが、ずっとそこにあって各々の人生の部屋を覗き見ている、それが群像劇として編集されている、ってだけなんですけど、それがマジですごいっていうか、教育的な配慮とか全然ないっていうか、でももしかしたら、これこそが愛と呼んでいいものじゃないか。というか愛がなければ、こんな映画絶対に撮れないだろう。でもそこには夢がないわけだし、たとえ希望の象徴とされる或る物(ネタバレなので伏せます)が出現したとしても、状況はなんら好転してないっつーか、むしろどん底なわけで、、、いや本当に、観ているあいだずっとワクワクしてました。


でも『くらげ』の時も思ったんですけど、実はすっごく細かいところの演出が素晴らしいんですよ。だからこそ、汚いはずの世界も美しいものに見えてくる。愛は細部に宿るというか、でもいちいち指摘するのも野暮なんで、ぜひ映画館で観てください、といっても、これ今週金曜までだ! トリウッドで20時からレイトショーです!



ちなみに余談ですけど、『亀』は「この人と一緒に映画をつくりたい」という動機によって撮られてるんじゃないか、というようなことを古谷利裕さんが日記に書いていて、それってまさに、こないだ万田邦敏監督が学生時代の映画について語ってたことと同じで、そのシンクロニシティに驚いたっていうか、たしかに映画を観ているあいだ「この人(池田将監督)には本当に撮りたいものがあるんだ」と感じて、でもそれはテーマとかメッセージ性とかってことじゃ多分ないんですよね。

http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20090117