四色の色鉛筆があれば、メモ


さて、一瞬の時間を利用して少し、toi『四色の色鉛筆があれば』のメモ書きを残しておきたいと思います。でもイメージが、まだ留まっていてそれをこの時間ではつかまえられないかも。とりあえず断片として、のみ、です。


四色の「あゆみ」「ハイパーりんくん」「反復かつ連続」「純粋記憶再生装置」は、それぞれ友達、社会(歴史と多様性)、家族、恋人、という関係性に対応していて、動きもそれぞれに異なりました。「あゆみ」と「純粋記憶再生装置」については実験的で斬新な手法を使っていて、観る者にそれなりの負荷を要求するものですけど、それでも見慣れていくってのは面白い。さらに洗練させていけばまだまだ先がありそう、と思います。役者さん、大変そう……。


とはいえ私がいちばんびっくりしたのは「ハイパーりんくん」で、マジで宇宙が見えたっていうか、スケールのでかさに驚いたっていうか。円周率をえんえんラップで語っていくのはものすごくミクロな世界に実は無限の広がりがあるってことで、いっぽう地球を中心として同心円に輪をかけて宇宙の果てまでいっちゃうアレは、マクロな世界が無限で、なのに「終わり」がある可能性を示している。それを単に机上の計算で終わらすのでなくて、身体を使って表現してしまうのが本当すごいと思って、わけもわからず涙してしまいました。私たちの存在する世界には、数学があり、理論があり、固有名詞の積み重ねがあり、そして「色=プリズム」がある。時として私たちは、ありもしないような「色」を幻視するんだろう。……歴史、あるいは全体性の喪失という問題は、やっぱり私たちがどこかで感じていることだけど、それに対してこういう回答を示してみせたっていう、その衒いのなさというかストレートな感じは、爽快感がありました。


で、「反復かつ連続」は、ずるい!(笑) これはもう、泣くしかないだろう、という作品。日常の世界を、何層にも切るようにバラしていって、それをふたたびレイヤーとして重ねてみたらこうなる、というやり方なんですけど、そこで描かれるのは「不在」ってことで、それは「不在」が私の関心事だからそう思うだけかもですけど、その「不在」の感覚は「あゆみ」にも「純粋記憶再生装置」にも繋がるところで、人がいるのか、いないのか、気配や存在感や記憶や実存といったものが、分解され、解きほぐされ、それによって「不在」をあらためて意識させられる。私の中にはああいった家族の風景がありませんけど、でも本当になかったっけ、ということを、思い起こしたりしました。


あ、時間となりましたー。ひとまずはメモにて。