80年代の呪い


昨日は、ほんとは横浜のダンスフォーラム「We dance」に行く気まんまんだったんですけど、前夜に飲み過ぎた兄がぐうたら起きたのが昼過ぎで横浜ゆきは断念。夜になって、私が密かに手に入れてきた某クラブのレセプションパーティーに潜入しました。フリードリンク&フリーフードという大盤振る舞いで、私たち飢えた兄妹はすっかり満たされた気持ちになって。がっついたわー。超満員だったけどわりとリラックスできたかも。音楽もサルサあり、もうちょいテクノっぽいクラブミュージックありで、いい感じ。


にしても、「ひとりも知ってる人がいなかった」と兄が言ってましたが、いったいこのパーティーピーポー、どっからやってきた人たちだったんだろ? 音楽ライター、て感じでもないし、やたらオシャレだったのでファッション系の人とかかもしんない。まあ少なくとも、「下北沢のオシャレ居酒屋」よりオシャレってことはたしかです(笑、←まーそんな店実在しませんけどね)。でもこのお店、ランチは1000円くらいでドリンク付きで食べられるみたいだから、たぶんフツーに行くなー。あ、場所は渋谷です。だから六本木とか麻布あたりのトライブ?島宇宙?とは別のトライブであり島宇宙だと思いますよ。私はそーゆーのよくわかんないんでどっちでもいいけど。


とはいえDJの人が思い出話で西麻布のピカソの話をしてたので(なんかすごく熱く語ってた)、やっぱりそっち系の流れなのかな?とは思うけど、例えばピテカンとかはきっと、これよりももっとオシャレでありハイソであったんだろう、と推測します。でも最近思うんですけど、80年代はバブルで消費文化で、ってのが通例のイメージになってるけど、それもほんとかなー、と疑問に思うのは、たとえばYoutubeで80年代半ばの「懐かしのCM集」とか見ても全然そんなテンション高い感じじゃないし、やっぱまず経済的にバブルであったこと+資本主義経済がある程度のレベルに達して飽和感が出たこと+一部にハイカルチャーな人たちがいたこと+ジュリアナ東京に代表されるようなもう少し大衆的なアゲアゲのムードもあってそれをマスコミが煽ったこと+タモリの「ネアカ/ネクラ」発言+現代思想の流行+メディア論が流行してメディアで流通している言説イコール社会的な風潮を表していると読解されるようになってさらにその考えが社会学に流れ込んだこと、などなどエトセトラ、といったいくつかの要素が重なって、「80年代」の豪奢で空虚なイメージが捏造されたんじゃないかなー? でもって、つづく90年代の、あの暗くて脱中心的でさらに空虚なイメージもその「80年代」幻想の延長にダラリと描かれてるわけだから、てことは、もうなんか全部ウソだったんじゃないの、ということさえ、私には思えてくるのです。


そーゆー時代にあって、さすがに私は「この目で見たことしか信じない!」とまでは断言しないけど、だってそのために本とか資料とかあるわけだしね、とはいえ、資料を丁寧に読み込んでいる書き手かどうか、みたいなとこを判断する目は、ちゃんと養っておきたいなと思うし、ここ20年くらいで積み重ねられた知の体系みたいなのが全部ウソだと思ってるわけじゃないけど、誰が何を言ってるか的なことをえんえん再生産的に引用していって尻すぼみになるのだとしたら、そういう流れや体系はとりあえずナシってことにして、自分の頭で(とはいえそれなりに丁寧に資料や先人の書いたものや諸作品を読み込みつつ)考える、というほうが、今は面白いかなーと思います。そのうえでいちから世界を捉え直したいし、余計なバイアスを取り外すことで、既視感の外へ出る、あらゆることをいったん「未知」の領域に差し戻すってことも、できるんじゃないかなと。きっと私は、この先も体系的な教養にはご縁がないと思うけど、とはいえいろんなことは知りたいから、その意味での教養は今も全然ほしいです。


まー私としては、世界の把握の仕方にかんしてちょっと呪いが解けた感じ、というのは、私自身についても、もうちょい広範なムードとしても、このところあるような気がしますけど。