『はじめましてとハッピー・バースデー、ましてや旅の恥はかき捨て』


 ど・どーもはじめまして。と本来ならば一週間前にはじめましているはずだったのですけれども、計らずして、とんだ失態でして、今日まで延び延びになってしまいまして。改めまして、はじめまして。このたびは『テルテルポーズVol.3』様が満を持して「劇中に必ずキスシーンを入れるルール」のオムニバス『桃まつりpresents KISS』とタイアップということでして、3/14(土)より公開一週間経ちまして、立ち見が出るほど入りは上々ということを聞きまして、ご指名で封切りに合わせてご挨拶させて頂くことになっていたのでして、誠にたいへん失礼致しまして。それで反省してアラザル編集部一同で頭を丸めまして。『テ・ル・テ・ル・ポ・ー・ズ』って読めるようにボーズの毛を残して。たまたま東スポに載っていたどっかの珍事件を真似して。ポ・ギャルには負けてらんねえ、ギャルには真似できないことをやってやるぜ野郎どもー!!って闘争心を燃やしまして、奮起しまして。これぞ男のテルテルボーズ!!って上映期間中にユーロスペース前で頭を横一列に並べて練り歩くことにしまして。全員連帯責任として、一人残さずしてシフト制でして。『テ』と『ル』は繰り返しているから多めに刈ったので替わりがいるのでして。本業で忙しいとはいえ、会社で帽子を脱がない言い訳を考えるのが大変でして、だから『ポ・ー・ズ』のどれかに休まれると困りまして。あげくのはてにはこれじゃあ宣伝にならないし、略して『テ・ル・ポ』でよくない?って無精な者が言い出す始末でして。フィーチャリング『桃まつり』ということで今回女性陣が多く執筆している『テルポ』にくらべてこんなむさくるしいアラザル編集部ですし、そういえばアラザルチームの紅一点の畑中さんも今回全作レビューを書かれてますし。畑中さんもポギャルみたいに顔にシールでいいって説得しましたがしかし、ポギャル扱いしないで、あたしもテルテルボーズやる、やれるって結構言い出したら聞かない子だったしたとえその意気や良しでも責任を持ってして全員で止めましたし(※1)、しかし毎日歩いてるだけじゃあ飽きるから一箇所で回転してみようぜ試しに、ってグルグル虎刈りの頭が『ル』を太陽にして惑星大道芸みたいになってしまいまして。意外とご来場の方々に評判だったのが聞き付けられまして、円山町の近所の怖い人に許可は取ったのか、って怒られまして。関係者の皆さま方には重ね重ねご迷惑をおかけしまして。それでも諦めずにここで喋らせていただいてテルポ編集部様には頭が上がりませんでして。許して。
 で、ここまでが前置きでして、そして話変わりまして、何の話でしたっけ。失敬失敬、わたくしもう年でして、しばらく必死で、ストリート宣伝の方にかかりきりでしたが一区切りして、土曜日にやっと桃まつり本編を観ることができまして、この日は「マコの敵」、「月夜のバニー」と順番にきて次の瀬田なつきさんの新作「あとのまつり」にひっくり返ってしまいまして。これがどうして心が洗われるようなラブリーな傑作でして。冒頭の通りを疾走していた主人公2人が突然道端で路上バンドとダンスし始めてしまうシーンに久々に鳥肌が立ちまして。舞台は横浜市で、新興開発中の湾岸シティーで始まりまして、えー、はじめまして……ハムスター遺伝子で(※2)……すいません今のはナシで……初めからで……はじめまして……と、始終落ち着きがない小動物のように飛び跳ねる少女・中山絵梨奈が、鏡に映る自らと見知らぬ他人のようにお喋りをしていて、カメラはその朝起きてから日が沈むまでの1日を行ったり来たり追いかけて片時も停止は無しで、そして街に飛び出して、彼女が言うにはそこは誰もが毎日記憶を失ってしまうその街では人々が交わすあいさつはおはよう!ではなくはじめまして!なぜならお互いのことを忘れてしまってもそうすれば平気だからで、そうして道ゆく者たちと次々とはじめましてを繰り広げまして、暫くして忘却に抗うようにしてケータイでバシバシ撮影している男子と出会いまして……、つきましては、より詳しくは今回の『テルテルポーズVol.3』本誌の方で葛生賢氏がヌーヴェルヴァーグのストリート性まで遡って渾身の瀬田なつき=スコリモフスキ論を寄稿されていまして、そちらを手に取って頂きたいのでございまして。思わずスコリモフスキの映画が見たくなることうけあいなのでして。そして会場で配られましたパンフレットを開きましたら、紙面に目を動かし、アンケートで好きなものは何だという質問で、瀬田さんが「プリン」が好きだとおっしゃっていらっしゃるではないか!これ見よがし!幸あれかし!!こうした事実に関しては見逃してはならないし、かつてわたくし、「彼方からの手紙」についてこう書いたことがありまして。文脈は無視。


『……とここまでが脱線で、ジム・オルークで一番好きなのは時間の関節が外れた豊穣なドローンの傑作「Bad timing」なんだけど、音楽で泣きそうになったランキングでは上位に入る。2008年の驚くべき新進映画作家瀬田なつき氏の「彼方からの手紙」は「Bad timing」と同じくらい素晴らしい!と思っていて、この結論だけ言って説明はしないっていうね、そのDVDが出たらしいのでどこかで見つけたら是非。2940円か…。瀬田さんが監督したオムニバスの「夕映え少女」も出てる。見なくては。来るべき2010年代はハッピーバースデー!!!意味不明!!!!それぐらいハッピー・プッチンプリンの衝撃が……2008年のベスト10の季節ですが去年一番びっくりしたのはハッピー・プッチンプリンだと↓にも書きましたが同じ話を何回もする病気になってきたかもしれず、批評というのは言う必要がなくなるまで同じ話を何回もすることだという話を何回もすればいいのでしょうか?嫌がられるまでグリコ乳業のハッピー・プッチンプリンの話を?あれ?』(2009.01.07の日記)


 つまり、「はじめまして」と「プリン」と「ハッピー・バースデー」の関係とは、このような意味だったと判明し。2010年代がなぜハッピーバースデーかというと舞城王太郎の「ディスコ探偵水曜日」を読んだ日までさらに戻らなければならず、もしもし、苦労して蒸し返し、よりこんがらがるのでやめておきますが、ところでハッピー・プッチンプリンとは何か。何がしか、興味津々の方がもし、いらっしゃいましたらば、しばし、以下を参照くださいまし。

『しかし、なんだか質量の比率が…おかしい気がするのは気のせいか。と、目を疑うまもなく、いま自分の手の中にある異様なプラスチック・カップが、今まで見たことのない未知のスウィーツであることを、把握した……。


  ドーン!


 気が付いたらそして、感動に襲われていた。すごい… これが…… パッと見軽くカップラーメンぐらいある。その巨大さを比較してみると以下のようになる。




 とにかくグリコ「ハッピー・プッチンプリン」には、出会い頭にプリンの一切の既成概念を覆されたといっていい。90年代のナタ・デ・ココに始まり、ティラミスであれ、パンナコッタであれ、カヌレ?マンゴープリン?クリスピー・クリーム・ドーナツ?等々、フレンチから中華まで、輸入スウィーツのあらゆるバリエーションが出尽くした2000年代以降、並大抵のスウィーツに驚かされることもなくなってしまったわたしが単なるカスタードとキャラメルでしかない和製プリンごときにかくもショックを受けるとは、このグリコが築きあげてきたプッチンプリン・イズムを拡張するポスト・乳製品は、イギリス生まれの洋菓子、カスタード・プディングが70年代に一般家庭に食品プロダクト化されて以降の、いわゆる「産業ケミカルプリン」の停滞をあっさりと乗り越え、過去のものにしてしまっている(ここに至るまでの「プッチンプリン」の多種多様な試行錯誤の道程は、「グリコ・プッチンプリン物語(http://pucchin.jp/)」を参照)。
 2006年に突如実験的に発表され、一年ごとに散発的に時期限定で製造がはじまったこの「ハッピー・プッチンプリン」は、しかし、ただでかいだけではない。「ハッピー〜」をそのわかりやすい体積以外にオーソドックスな諸々の単なるプリンと区別するのは、製造上におけるあるコンセプトである。表のラベルにはこうある。『プッチン!ハッピーパーティー!』。このようなキャッチコピーの背景に、パッケージのほぼ全面に広がって印刷された定番のプリンのイラストの左上に大きく、「HAPPY」というロゴがレイアウトされている。ハッピーなパーティーのためのプリン?つまりこのプリンの巨大化は、「祝福=幸せ」というイメージと連動しているわけだ。このコンセプトは、あからさまにバースデイ・パーティーとの連想を誘う。だがしかし、戦後・消費社会の到来以降、主に欧米から輸入されてきた食習慣によって、日本人が通常そこで思い浮かべるスウィーツは年齢と同じ数の蝋燭が灯る「ケーキ」であり、「プリン」ではない。「ハッピーバースデイ」の歌が終わった瞬間に、蝋燭の火を吹き消す、あの光景のことである。では、なぜこの食卓では、今に至るまであまりに強固な「ケーキに蝋燭を」という常識を逸して、他でもなく「プリン」で祝福されなければならないのか。
 ここで確認しておくと、グリコ乳業によるプッチン・プリンの革新性とは、(1)プリン・カップの上部を覆うラベルを剥がす。(2)皿を下に敷いて、プリンを逆さにする(3)カップの底のプラスチックの突起をもぎ取る(4)その底に開いた穴から空気を侵入させることで、容器に密着していたプリンの中身を小皿に落下させる――という、昭和以降を生きた者なら「いつのまにか」誰もがすでに一つの身振りとして馴致させられている慣習、<プッチン>を発明・浸透させたことにあった。そう、あなたに想像してほしいのは、この前代未聞の容量を誇る「プリン」によって、ビッグ・バン的な<プッチン>が新たに<誕生>する瞬間である。400グラムを越える(「もはやプリンの限界」と囁かれていた「Bigプッチンプリン」の軽く倍以上)、常識外れのプリンがプラスチック・カップの縁をなめらかに滑り落ち、悩ましい曲線を描いて宙に放り出されたフォルムを愛でる間もなく、独特のベージュ・イエローな輪郭を波打たせながら、その柔らかな円錐を震わせるこの<プッチン>は、<蝋燭の火を吹き消す>出来事に匹敵するかもしれない……とひとが考えた時こそが、歴史が揺らぐ震源にほかならない。おめでとう!!!!!!!!!!誕生!!!!!!!!!!!これは、プリンの革命であるだけではない。「ハッピー・プッチンプリン」は、プリンを引っ繰り返すと同時に、「バースデイ=誕生日ケーキ」の存在をも、脅かす(この怪物的なプリンの背後に、ケーキではなくプリン、という洋菓子業界における消費者意識のダウンサイジングを見込んだ策謀を推測するのは、邪推というものだろうか)。わたしが先ほど苦労して食べ尽くしたこの<プッチン>の悦楽が、とりわけ格別のものであったことは、言うまでもないだろう。さすがに危険なプリンのテロリズムらしく、製造元・グリコ乳業によれば「全国で神出鬼没的にゲリラ販売」なのでどこで手に入るかは今いち不明(買ってきた当の母親に問いただしたら近所のコンビニで売ってたって)、というこの文字通り偉大なプリンが21世紀のプリン界を席巻するのは疑いえない、まぎれもなく傑作である。』(2008.11.16の日記)


……と、こんな風に瀬田なつきが写し出す少年と少女の気まぐれな小旅行はあさっての方向に、何ものも怖れぬかのように、軽々と飛び跳ねてゆくのだが、細かい話はすっ飛ばし、正味な話し、一回一回がかけがえがなしではじめてのはじめまして!が炸裂し、「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまう」世界で、覚えていること=記憶=手紙を風船に託して、空に飛ばしてしまうシーンがなぜかくも感動的なのか、力説したいし、それにしても喋り過ぎだし、だって甚だしくびっくりしたし、この中国へ、北朝鮮へ、アメリカへ、はては20XX年の未来へ?風船を飛ばすシーンで、空き地の草むらで画面中央に一人佇む、夕焼けに照らされた、赤いパーカーに紅を塗って、といった「赤」のバリーションをまとう中山絵梨奈の表情の素晴らしさは、また特筆すべきものであるし、アワー・ミュージックが「ぼくらが旅に出る理由」なのは、オザケンが歌っている通りだからして、『ぼくらの住むこの世界では、太陽がいつものぼり、喜びと悲しみが時に訪ねる/ぼくらの住むこの世界では、旅に出る理由があり、誰もみな手をふってはしばし別れる』……、瀬田なつきはそのように、果敢な一歩を踏み込むのを怖れないのだし、カメラ=タイム・マシーンの如くして、ありふれて見慣れてしまった風景をチャーミングにどこでもない時間と空間へと飛ばしてしまい、あっちへ行ったりこっちへ行ったりする少女と一緒にそのドタバタ転がるさまが観る者を深く揺り動かすので、今この時間と空間に生きているリアルな存在のかけがえのなさが立ち上がってくる……のが瀬田氏のまさしく単なるサウンドとイメージの魔術師、大げさな話映画史の重力を覆し、子供騙しなんて照れ隠し、しかと真摯に見届けるべし、その間にもどんどん子供たちのステップは進んでいくし、ノリコとトモオは追いかけっこし、馬車道からゆりかもめで湾岸に乗り出し、端々にリズミカルに韻を踏むかのような台詞回し、も聞こえるし、今がいつだかわからなくても楽しくなってきたし、はじめましての旅のハッピーなエンディングにふさわしい、懐かしい、キスシーン。が如何なるものかは想像にお任せし、実際に目撃しないことにはわからないし、と散々語っておいて言いづらいのですが、お恥ずかしい、申し訳ありませんが悔しい、「あとのまつり」が入っているプログラムは先週で終わってしまったのですが、悪気はなし、なお、残念ながらここでは「あとのまつり」にしか触れられませんでしたが、各監督それぞれユニークなキスが勢ぞろいの他の作品についても『テルテルポーズVol.3』で詳細にレビューされているのでそちらをじっくり手に取っていただきたいのですが、他にも「キス」にまつわる何かが盛り沢山の読みごたえのある一冊に仕上がっていますし、『桃まつりpresents KISS」はまだ「地蔵の辻」、「それを何と呼ぶ?」、「クスコスポスト」、の「参のkiss!」が公開されていますので是非ユーロスペースに足を運ばれるのもよし、まだ諦めるのは早いそこの紳士たち、「桃まつり」は大阪での上映も決まっていますし、では任務も終わったことだし、しかしやや喋りすぎてしまったし、しかも半分以上関係ない話だし……、わたくしは反省してこのまま夜を徹してテルテルボーズ宣伝に戻りたいと思いますし、仲間を待たせているし、これで失礼、いやいやどういたしまして、さようなら、じゃなかった、はじめまして……ハッピー・バースデー……ナマステー……わざわざここまで読んでくださいましてダンケ・シェーン。(アラザルチーム・山下)


(※1 畑中さんはそんなことは言いません。)
(※2 劇中にそんな台詞はありません。)
(※3 ハッピー・プッチンプリンだけは実在します。すいません。)