あんにょん由美香


他人を遠ざける、という宣言がもはや茶番のポーズじゃないかと思うくらい人によく会っている。

木曜

ジュンク堂新宿店での福永信×佐々木敦トーク、「角を曲がる」という話が心に深く残った。打ち上げではいろんな方にお会いした。ひさしぶりの飲み会。少し飲み過ぎる。途中、めずらしくKさんから電話がかかってきて、今度の「路字」に書いた短い小説についてお褒めのお言葉をいただく。わざわざ電話をくれるってのはやっぱり嬉しいものでした。「路字」5号はすでに校了したので、近々お目見えすると思います。


金曜

松江哲明監督の新作『あんにょん由美香』の試写会をノムさんと観に行った。松江哲明10年の集大成という触れ込み通り素晴らしい作品だった。全然感想とかまとまらないまま書くと、松江さんがそこで体現しているものは、たしかに後に残された男の子の夢に過ぎないのかもしれないし、個人的には編集によってカットされたであろう大量の時間が気になるところだ。だけど、あそこまで徹底した行動主義と現場主義を目の当たりにすると、やはりあの「動き」に心を揺さぶられる。グッとくる。この「動き」は決して付け焼き刃のものではなくて、例えば松江さんが普段から自転車に乗って東京を移動しているとか、そういうところからすでに始まっているのだと思う。映画にはいろんな土地が登場する。つくづく人間は、どこか特定の土地と結びついて生きていると思った(定住するとか、安住するとかいった意味ではまったくなく)。


そしてまた人間には、なんと多くの秘め事があることか。どんなに局部を晒してもやっぱり秘密はある。そこには誰も入れない。そのままみんな生きてくし死んでいく。もちろんこの映画で、ドキュメンタリーとしては、もっとズカズカ立ち入って秘密を曝くこともできたはずだけど、あえて松江さんはそうしなかった(と思う)。でも向かっていく。安全地帯を出て、向かっていってしまう。だから本当に際どい、ぎりぎりのところで成り立っていた。その動機はなんだろうか? たぶん松江さんは(個人的な関係のことはわからないけど)、林由美香という存在に間に合わなかったのだ。あの「男たち」の一人ではありえなかったのだ。だからこの映画を撮ったと思うし、そこが、僕にとっては切実に感じられる。撮る理由がある人はやっぱり強い。その意味では、このパワー溢れる映画は、今の時代において(遅れてきた)我々がなしうることの、ひとつの極致だと思う。この映画を観て批判する人がいてもいい。僕も批判するかもしれない。その人(僕)がまた別のことをすればいいだけのことだ。ただし本気でやれ(やる)。……そういう気にさせられる。『あんにょん由美香』は7月11日よりポレポレ東中野にてロードショー。あと、これだけ映画を観て笑ったのも久しぶりかも。




そのあと銀座線に乗って渋谷でHEADZに届け物をした。アニーは自分のホッペタを指して「今日は五平餅みたいなんです」とかなんとか言ってた。五平餅じゃなくて、別の餅だったかもしれない。(追記:さつま揚げでした!)とにかくそれを聞いたノムさんは、「たしかにいつもはハンペンみたいだもんね」と後でアニーがいないとこで言っていた。あまりにいい陽気だったのでビールが飲みたくなり、根室食堂に行きたかったけどまだ開いてなかったので、シモキタに流れて、フレッシュネスバーガーでビールを2杯ほど。またもや重大な示唆を与えられる。やがてノムさんと別れて少しサイゼリアに籠もって作業。ふらふらしてたら道端でYに会った。話したいことは山ほどあれど、なんとなく「その時ではない」という予感がしたので結局大事な話はせず、再会を期して別れる。


土曜

打ち合わせのために神保町に行ったら、おおやはり、という方に再会できて嬉しかった。そしてさらに、思わぬ方々にばったり。ついその場で話し込んでしまったけど、やっぱり同じ時代を生きている以上、話すことがあるし、いずれどこかで落ち着いて時間をかけて話したいなとも思う。シモキタのオシャレじゃない居酒屋とかで。でも何にしても、僕は自分のやるべきことをちゃんとやらないといけないので、今はそれに専念したい。それこそ松江さんもそうだけど、それぞれが現状の力でやれるところまでやって、そこは言い訳ナシというか、腹くくってるというか。そういう覚悟でなんにしてもやらないと、と思う。今はそういう気持ち。(まあたぶん7月になったら脱力しますぜ〜にょほろり。)