ニッポンの思想


出ました。佐々木敦『ニッポンの思想』(講談社現代新書)。


ニッポンの思想 (講談社現代新書)

ニッポンの思想 (講談社現代新書)



で、さっそく読みまして、紹介文を書くなり、個人的な感想を述べるなりしようとも思ったんですけど、なかなかそれは難しい。というのは、きちんと読んで書ける力量がない、ということもありますが、それ以上に思うのは、僕がこの本で書かれている「ゼロ年代の思想」といろんな意味で無縁ではいられないからです。例の早稲田文学の10時間シンポジウム以降、僕は意識的/無意識的にある種の方向性を模索してきました。そしてようやくそれが今見えつつあるけれど、形としてはまだ全然足りてない。それはもう、ひたすらやっていくしかないわけです。けれどもこの『ニッポンの思想』を考える時、やっぱりそこと切り離して考えることは不可能で。全然自分は何にも知りません、部外者ですから、という顔ではやっぱり居られないような気がするのです。……しかし、ともかく今は、他の人がこの本をどう「読む」のか知りたいです。




この『ニッポンの思想』という本は、僕と同年代くらいの、ぎりぎり「批評空間」の最後に間に合った、と言っているような人たちにとっても大きな示唆を与えるものになると思うし、もっと歳下の、物心ついた時には東浩紀しかいなかった、と言ってる人たちにも当然インパクトを与えるでしょう。その意味で佐々木敦はこの本で、「テン年代」に向けた新たな「思想」の土台を設定し直そうとしたとも言えます。


とにかく「読み手」としての佐々木敦の力量にあらためて驚かされる本でした。そして、この本で紹介されているような「思想」をこの絶妙な距離感で書ける人はたぶん佐々木さんだけじゃないかとも思います。マージナル・マン(境界人)というか、それは決して安全地帯から無責任に語っているわけではない。これは僕の勝手な推測ですが、佐々木さんは来るべき「テン年代の思想」に関して、たぶん本人の意思とはあまり関係なく、結果として積極的にコミットする、あるいはリードすることになるだろうとも思いました。(実はこの本の書き方、ポジショニングの取り方などに、すでに佐々木敦自身の「思想」が現れ出ていると思いますが。)


と同時に、これがこの本のきわめて特異な点であると思うんですけど、「若い人に向けて書く」うんぬんとはまったく別の次元で、この『ニッポンの思想』はある特定の読者を想定して書かれているとも思います。それは他ならぬ、東浩紀その人です。この本は、見ようによっては東さんに宛てて書いた手紙のようにも見える。それがこの本を、単なる安易な「東浩紀批判」のようなものとははっきりと違うものにしているし、いわゆる「ゼロ年代」的な語り口とも違う、新たな(そしてきわめて普遍的な、これまで何度か繰り返されてきたはずの)コミュニケーションの回路を生み出しているとも思います。もしかしたら佐々木敦は、東浩紀という「思想」家の存在を世間の誰よりも理解し、リスペクトしているんじゃないかとも思いました。