『昏睡』


中途半端にフローしたくないという気持ちがあり、しばらくブログはお休みしようかなとも思っていたけれど、昨日アフタートークで、やっぱりずいぶん言い残したなと思うし、褒めたり貶したりってことにはあんまり意義を感じないんですけど、感想ということで、記しておきます。


生と死、眠りといったテーマはともすると重くなりがちだけれど、神里雄大の『昏睡』は、そうした重力の罠を飛び越えて、スペクタクルな乱痴気騒ぎの様相を呈していた。いや、楽しい。それでいて、元の戯曲を茶化すとかではなしに、その戯曲が本来もちうるファニーさを、最大限に引き出そうとしている。この取り組みを真摯と言わずしてなんだろう。ではここにある「笑い」とは何か……と定義することはできないけれど、たとえばセックスの最中に、突然笑ったりすることも時にはあるだろう、もしかしたら、死ぬ段になって初めて見せる笑いがあるだろう、あるいは、玉音放送を聴いたときについ、意味もわからず笑いが洩れたりもするだろう、もしかしたら、もしかしたら、あるいは、死刑台に乗って、あるいは、裁判所で、あるいは選挙カーに乗って、エレベーターの中で、会社で、学校で、台所でネギを刻みながら、親父の背中を見ながら、姥捨て山から帰りながら、そして、そして、謀反があって、炎上する王国のなかで哄笑することも、やっぱりあるだろう。「謀反である!」という笑い。神里演出の『昏睡』には、そうした笑いを誘い込むものがある。


だいたい、山内健司が最初に現れて、そこに存在してるというだけで、なにかおもしろい。笑いを誘うものがある。ましてやそれが滑稽なガニマタで歩きだしたら、もはや失笑を禁じえないし、ところがそこで発散される熱エネルギーがやがて汗となり水蒸気となっていくのを見れば、ただただそのおもしろさに圧倒されて笑ってよいのやら。それは、元の戯曲(テクスト)の、もしかしたら崇高性だとか重みのようなものを、水蒸気という気体に変換してしまうエネルギッシュな肉体装置のようにも見える。ぷしゅー、ぷしゅー、と、しかし山内さんがそうした変換を凄まじい熱量でやってのけているその横で、いっぽうの兵藤公美は涼しい顔で、そのいちいちの強度を持ったテクストの熱量を、爽やかに、そしてキュートに撃ち落としていく。すたん、すたん、すたん、ぷしゅー、と、このやりとりが楽しい。が、舞台は折りしも「戦場」である。戦争が起こっている。空襲がある。兵藤さんの手首がない! もちろんこれは演劇なのだから、フィクションなのだから、もちろん兵藤さんの手首が実際に切り落とされているわけではない。といって、演出で手首が隠されているわけでもなく、そこにある、ちゃんとついてる、目に見える、でも「手首がない」と言われれば、たしかに手首がないのである。そして神話からお茶の間の出来事まで、すべてその「手首がない」はずだがちゃんと手首のついた肉体が結びつけていく。7つの物語は線で結ばれ、2人の身体を異なる世界に次々と転生させていく。そしてついに、肉体と、テクストの力が拮抗する瞬間が訪れる。あるいはテクストが、肉体を呑み込もうとしている。しかしそこでは、もはや戯曲は単に言葉であり、単に音であるのだった。


気づけば音があり、静寂があり、光があり、闇がある。テクストが解放される瞬間がきた。たぶん、この芝居が成功するかどうかは、この瞬間にかかっているのだろう。ここはたしかに、もっとイケる気もする(しかしどうやったらイケるのか、その方法はぼくにはさっぱりわからない)。けれども、たった2人の芝居なのに、なんだかそこに、巨大なものが広がっているようにも思えた。もしかしたらそれこそ、人が「演劇」と呼んでいるものの正体ではないか、といったおそろしい疑念が、一瞬あたまをかすめる。だがいけない、おっと忘れてはいけなかった。これらはすべて、しょせんは道化(ファルス)による乱痴気騒ぎなのだ。

 ファルスとは、最も微妙に、この人間の「観念」の中に踊りを踊る妖精である。現実としての空想の――ここまでは紛れもなく現実であるが、ここから先へ一歩を踏み外せば本当の「意味無し(ナンセンス)」になるという。かような、喜びや悲しみや歎きや夢や嚔(くしゃみ)やムニャムニャや、あらゆる物の渾沌の、あらゆる物の矛盾の、それら全ての最頂点(パラロキシミテ)において、羽目を外して乱痴気騒ぎを演ずるところの愛すべき怪物が、愛すべき王様が、すなわち紛れもなくファルスである。


坂口安吾「FARCEについて」



『昏睡』はアトリエ春風舎で26日(水)まで。10月には、今度は神里雄大が書き下ろす、岡崎藝術座の『ヘアカットさん』があるそうです。鰰(hatahata)メールマガジン絶賛継続中。まずは『昏睡』をたくさんの人に観てほしいですけど、それにしても神里雄大という人は未知数です。ぼくのような素人には感知できないことが多すぎます。でも全然『昏睡』は楽しめるはず。あ、演劇っておもしろい、っていう。