「あ、そう」政権の終わり


新しい政権がもうすぐ誕生する。ロシア語のニュースとかで(もちろん全然ロシア語はわかんないが)「hatoyama」と喋ってるのを聞くと、これは地球規模の大きな変化かもしれないと錯覚する。実際問題、新政権にとっていちばん大きな出来事は、11月のオバマ訪日だと思う。日本の戦後復興は、日米安全保障条約象徴天皇制の維持と共に歩み、それが「日本人」の特殊なメンタリティーを形づくってきた。当然、日本の文学もそれを取り巻くかたちで形成されてきたと思う。「世界」はつねにアメリカの向こう側にあったし、「私」や「僕」はそのことにいつも戸惑いを隠せなかった。村上春樹はその意味で、戦後の日本文学を代表する作家だといえる。いっぽう国内はといえば、政治は自民党と官僚によってすべて上のほうで決定されるものになっていた。地域経済とはつまり、自民党のお偉い先生が地元の土建業者に大きな仕事を引っ張ってくることを意味していた。


それでもかつてはいちおう機能していたらしい。東京が発展途上の都市で、日本経済が肥大しているうちは、日本人はどこかに所属を持ち、それが企業であれ他の何かであれ、そこが成長していくことに夢を託していればよかった。ごく大ざっぱにいえば。そのためには男が外で働き、女は家が守るという形態も都合よいとされたのかもしれない。公害でちょっとくらい空や海を汚しても、薬害で泣く人が多少出ようとも、隠蔽するか、たとえ露見しても金で解決すればよかろうという驕りが出るくらい、日本経済は潤っているかのように見えた。ところがそれがどんづまってからは、とにかく「不安」が増大し流出した。特に若い人たちのそれは深刻なもので、ひとりのろくでもないもじゃひげの誇大妄想家がつくりだした「神」を、うっかり信じたばっかりに人殺しに手を染めた者もいた。他人を傷つけられない優しい人間は、自分を傷つけてしまった。しかし、飲み屋のおっさんや兄思いのお節介な妹がどんだけ「夢がないよね」と嘆き叱ろうとも、それで若者の「不安」が全然払拭されるわけではなかったのだ。




自民党はその末期に、トカゲのようにどんどんシッポを切り落として延命を図ろうとしたが、最終的に寸法不足となり、けっきょく鳩に食われてしまったようだ。その最後を担当したのは、奇しくも天皇ヒロヒトの口癖「あ、そう」と同じ名前の首相だった。それはほとんど自滅だったとも言えるが、いろんな人が投げ出していった泥舟の船長を、形はどうあれ、少なくともこの首相は最後まで引き受けたわけだ。しかし選挙戦の終盤以降楽勝ムードが漂うなかで、むしろ民主党議員の顔つきは引き締まってきた。万歳三唱でさえも緊張感があった。議員が出演するテレビの政治討論会のようなものも、これまではどこか牧歌的な議論大会に思えていたものが、いきなり具体的な政策に直結し、ひとつひとつの言葉に責任の重みが生じてきた。そしてその、新しいリーダーとして生まれ変わりつつあるMr.Hatoyamaが、「Yes, we can!」のひとことで世界に存在感を示したオバマとどう対峙するのか? これまで日米の首領が並ぶと、体格で見劣りする日本の首相に対し、ぶっちゃけクリントンもブッシュも「背のちっちぇえジャップめが、ふふん」と見下した態度がなかったといえばウソになると思うが、今なら見劣りせずにいける気がする。




さてしかし民主党の「風」とかいわれる中で、うちの地元の高知県では小選挙区で3区とも自民党候補が勝利した。民主党議員の比例復活当選もなかった。つまり県内からはひとりも与党議員が出なかったということで、地元メディアから嘆く声も聞こえてくる。民主党の敗因としては、橋本大二郎前知事の出馬などで反自民票が割れたことに加え、「小選挙区自民党候補、比例区公明党」という自公のバーター協力がぴたりとはまったとかもあるだろう。でもそれ以上に、最終的に投票所に足を運んで候補者の名前を書こうとした時に、「やっぱり……」と有権者は思ってしまったのじゃないか。「やっぱし自民党のセンセイじゃないと頼りにならんかも」と。実際、地方にいけばいくほど道路頼みという風潮は強いと思われる。この夏、高知市内から西の端の柏島まで行くのに車で片道5時間近くかかった。それは不便だ、と思うのも無理はない。でも、この「不便だ」と思ってしまう身体や発想こそ、自民党政治に植え付けられてきたものかもしれないとも思う。もちろん作るべき道路は作るとしても、でも、それで誰が潤うのか? それで沈んだ経済が本当に好転するのか? それを考えなくてはいけない時代に突入している。個人的には、そこに住んでいるわけではいので生活感のまったくない言葉として言わせていただくと、5時間かけなければ到達できなかった柏島の海は美しかった。感動した。


大学時代に侃々諤々やりあっていた仲間のひとりが立候補していたが、惜しくも落選した。それが非常に残念だけれども、山あり谷ありの広い選挙区で自民党のベテラン議員相手にかなりのところまで善戦したと思う。どうするんだろうこれから。諦めずに次を狙ってほしいけど。落選しても、社民党の保坂氏のように、党員としてやるべきことはあるような気がする。なにしろ与党なのだし、有能な人材はひとりでも多く欲しいところだろう。それにしても、あれだけポスターを貼って名前を出して、ってやってる以上退くに退けないのだからマジで敬服する。退路を断つことは大事だ。




自民党は、出来の悪い父親のようなものだった。しかし、「お前にはまだその力がない」と言われつづけた息子や娘たちは、とくにすることもなく、夢を持つことさえも許されず、ただ黙々と頭を垂れて父の言うことに従うか、家出してふらふらとそのへんを遊び回るかしかできなかったのだ。その父を永田町からまんまと追い出した今、息子や娘たちのほうが父親より出来が悪くないという保証は全然ない。少なくともいきなり景気がよくなるとか具体的な数値が急上昇するってことはありえないだろう。でもなんにしても私たちが新しい時代の中を生きてるってことは間違いない。もうほんとイヤで死のうかと思ったけど、あとちょっとだけ生きて見てみよう、という人がひとりでも多くいればいいなと思う。