傑力珍怪映画祭ふたたび


台風直撃か、と思われた傑力珍怪映画祭へ。連日上映の3作品について少し。大畑創監督の『大拳銃』(今年のぴあフィルムフェスティバルゆうばり国際ファンタスティック映画祭で審査員特別賞を受賞)は1回目より面白く観ました。ただ個人的な意見としては、バランスを壊してでももうひとつ突き抜ける「何か」があっていい気がします。あの「大拳銃」を怒りの象徴として思い切りエンターテインメントに振れてもいいし、ある種の不条理劇として構築していくこともできるモチーフだと思うし。黒沢清はその両方をやってるのかもしれませんが。


伊藤淳監督の『魔眼』は、実は繊細に作ってあるのかも。ラストが意味わからんという感想をちらほら見かけますが、これこそ「何か」を胚胎しているように感じます。ゾクゾクする。外面的に繰り広げられる暴力とはまったく別の意味でこわい。しかしその恐怖は美しさと隣り合わせであって、主演の谷更紗さんが非常にキレイに撮られている。スクリーンに釘付けです。あと、お父さんのセリフが微妙にリアリズムじゃないから、グッと虚構の力が高まっている。


そしてにいやなおゆき監督の紙芝居アニメーション『灰土警部の事件簿〜人喰山』。まずその前に上映される短編アニメ、あのラストはどうかと思うけど(笑)、裸電球や学校のトイレのような空間に生きていた(死んでいた)ものを現代に蘇らせることができるのはこの人しかいないと感じます。ものを作る時に、愛と一緒に穢らわしさも備わってしまうというか。『人喰山』は、物語られることの楽しさを味わわせてくれる。あの地獄絵図の中で、鬼がエロスも穢らわしさも全部一緒くたにして食べてしまうわけだけども、快楽の本質とはそこにあるのかもしれない。現代の物語から去勢されてしまったものがスクリーンで踊り狂っている状態は、ほんと、観ていて楽しかったです。というか、世の中にこういうものがある、ということを観れてよかった。


傑力珍怪映画祭は、以上3作品+ゲスト作品で当日券1200円、渋谷アップリンクXで今週金曜までレイトショーです。リピートするたびに200円安くなっていくというシステムだけど、1回いくだけでもお得感があると思います。


http://www.uplink.co.jp/x/log/003120.php



ゲスト作品、間野ハヤト『AURORA』


で、お目当てだった昨夜のゲスト作品、間野ハヤト監督の『AURORA』について。冒頭、近未来において危険とされている「オーロラ」に関する説明テロップが流れたあと、女優が現れて「昌平ちゃん!」と声をかける、そのシーンですでに傑作の予感だが、その直後、間野自身が扮する映画監督・昌平が実際に劇中で「今度こそ傑作だ」とかなんとか呟いてしまうので、すべて台無し(笑)、ああ、もう、この時点でかなりダメさが漂っているのだけど、この外面的なダメさとは裏腹にやってることはすごい。近未来という設定、夕方にオーロラがやってくるという恐怖と好奇心、そして映画そのものへの期待感……といったように、この映画は何重にも「未来」を予感させるものであるにも関わらず、(まったく同情に値しない監督の運命以外は)先がまったく読めない。そのせいか、物語としてはほとんど何も起こってないに等しいくらい馬鹿馬鹿しいのに、「現在」が強烈に面白いのでまったく退屈しない。いやーほんと。つまり「これから起こるかもしれない物語の筋」ではなく、「今まさに目の前のスクリーンにあるもの」が面白いという。さらに様々な「過去」もオマージュとして入ってくるけども、それらもあくまで「現在」に流れてきて蒸発する。図にするとこんなイメージ。

   オーロラ、爆発(わけわからん)→映画の呪い
        ↑
  未来 → 現在 ← 過去


みたいな。まあよくわかりませんね。あと自画像的な映画なのに、まったく監督の自意識のようなものを感じなくて、あくまでも軽やか。ゴダールの日本における受容は知的スノビズムとセットだったと思うけども、そのお茶目っぷりを継承するとほんとはこうなるのかもしれない。とにかく面白い。単なる模倣の域を超えた、この作家ならではのものがあると思いました。


ただ、この監督に流れ混んでいるのがいわゆる映画的な資源だけではない、っていうのは、そのあと上映された新作短編『とりと少女』で感じました。上映が終わったあと、その女優・荻原聖子によるひとり芝居もあったりなんかして。この監督と女優はとてもいいコンビだと思います。『AURORA』でも明らかに彼女の存在は光っていた。で、ともかく、その映画から演劇への移行が非常にシームレスであったのには驚きました。わざわざ複製芸術である映画を映画館に観に来ること、の可能性をこの試みには感じました。それを最近の小演劇界の動向と併せて考えると、もうすでに「作家=作品=劇場(映画館)=上演(上映)=観客=感想・批評」といったものの等号が崩れていて、その時間だけに生起するものこそを観たいとか、作りたいといった欲求が生まれつつあるとも感じます。