ヘアカットさん

最近ではTwitterもあるわけだし、ブログの存在意義は相対的には下がる、だからここは自分自身のために書こうと思いながらも、やっぱりブログは外側に向けて書くわけで、だからここで何かを紹介するとなると、それは「その存在を多くの人に知ってほしい」という職業的下心のようなものがどうしても働いてしまうし、そのこと自体がべつだん悪いとも思ってないし大事なことだと思う。とりわけ、そもそも観る人のパイが小さい小劇場の演劇なんかでは、興行的な宣伝効果としても、公演の記録の一部となるというアーカイヴ的な意味でも、劇評なり感想なりというものはそれなりに大事なものとして機能するのだと思う。


しかし、だ、ではぼくが昨日の夜、岡崎藝術座の『ヘアカットさん』をこまばアゴラ劇場に観に行きました、という書き出しで感想を書くことが、果たして良いことなのかどうかと考えるとちょっとためらう。それは別に、岡崎藝術座/神里雄大をあんまり人に知られないままにしておきたいといった無意味な独占欲があるわけじゃないし、ましてや、わかる人だけにわかればいいという尖った意識でもなんでもなくて。ただここ(ブログ)で、好きとか嫌いとか、素晴らしいとか、圧倒されるとか、そうした言葉を並べてつまり毀誉褒貶の列に新たな一枚のカードを付け加えることが、神里雄大という作家にとって良いのかというと、良い悪いでいえば良いだろうし評判になったほうがいいにきまっているのだが、でもなんとなく「大したことではないな」と思えてしまうから書けないのだと思う。




でも書くんですが。


『ヘアカットさん』には外縁がなかった。その境界があるとおぼしき場所では、何かを侵食し、何かに侵食されているような感じがあって、だからもわもわしていた。それでいいんじゃないかと思う。


そして、小説でいうところの「語り手」を、それぞれの役者さんにやらせていた。これは『ヘアカットさん』にかぎらず神里くんがわりとよくやる方法だと思うけど、たいてい役者さんは「登場人物」を演じるように演出家に命じられるだろうからこれは異色のことだと思う。で、「語り手」を演じる役者さんがどうなるかっていうと、その「私」がとてもヘンになるし魅力的だ。それだけで物語を駆動させる力がある。


神里雄大の描く「私」は、戯曲の書き手でもあり演出家でもある神里氏の何かを投影した「私」ではあるけれども、全然関係ない他者とか、他者の一部である髪の毛みたいなものを含んでいる「私」であり、さらにはそれを発語している役者さん自身の「私」も含んでいるし、劇を観ている観客たちの「私」もちょっとばかし掠め取っている。そういう複層的な「私」の数々が入れ替わり立ち替わりマイクの奪い合いをしていて、そこに「ヘアカットさん」と名乗る、夢も現実も自己も他者もぜーんぶ食べちゃっておいしかったですはっはーん! みたいな存在が出てくるお芝居である『ヘアカットさん』は、端的にいって、とても面白かった。


終演後の、横田創さんとの、朝まで続くのかと思うようなダラダラした(そして実に興味深い)アフタートークで、神里くんは「北の国にいきたい」と言っていた。売れっ子で忙しいから実際なかなか行くのは難しいだろう。でもその気になれば何泊かの旅行なら全然できるはずだ。けれど「北の国にいく」ってのはそういうことでもなく、もしかしたら時間や空間とはまったく無縁な概念かもしれないし、逆に案外、たんに温泉にでも浸かりたいぜふー、という俗っぽい欲求にすぎないのかもしれない。たぶん前者だろうと思うけど確証はない。




そして以下は、通常「ヘアカットさんと全然関係ないことじゃないか」と人々に考えられていることであり、実際全然『ヘアカットさん』と関係ないのだが、にもかかわらず『ヘアカットさん』から地続きであることを書くので、これをいわゆる劇評だ、などと勘違いされてしまったらまったくもって困るというか、上に書いた最初の2つの段落をもう一度読み返していただきたいのだが、そうした留保をつけたうえで好き勝手に先に進ませてもらうと、正直ぼくは『ヘアカットさん』を観たあとの今日、まさに今日、いろんなことがかなりどうでもよくなってしまっている。朝起きた時、とても気分がよかった。しかし眠い。そして菊地成孔氏による追悼文を読んだのがきっかけで、さっきから、フォーククルセイダーズの『あの素晴しい愛をもう一度』ばかり聴いている。Youtubeにあるかぎりのいろんな人が歌ってるいろんなバージョンを聴きまくっている。そしてそれだけではない故人の曲の数々も。「どうでもいい」の途上にはそうした音楽があるような気がする。でも直感として言わせていただくと、この「どうでもいい」は投げやりでネガティブな「どうでもいい」じゃなくて、今後の自分にとって、、、というよりはもしかしたら世の中にとって結構いいことかもしれない「どうでもいい」だという感じはあって、さらに個人的なことを言わせていただくなら、昨日観た『ヘアカットさん』のおかげでむちゃくちゃ視界がひらけたのだ。