分裂


昨日はフルカワヒデオ200ミニッツ予想をはるかに超えて凄かった。ANIMAのヴォーカル小島ケイタニーラブがうまいことアイスブレークした舞台に虹釜さんと鈴木康文さんが再登場して以降、脳の奥のある部分に何かが届いて開放を迫ったのであとは開けたままにしておいた。開きっぱなし。そのまま酒を飲んでたくさんの人たちと遅くまで話したのでぼくはどうやらいろんなところに分散してしまったらしい。少し寝てまだ酔いが残ったままアゴラ劇場に行って岡崎藝術座の朝公演『朝焼けサンセット』。面白すぎる。画期的すぎる。いったい朝っぱらからこれ何やってるんだろう、目の前にある唐揚げ弁当が果たしてこれ本当に食べて大丈夫なのだろうか、つくりものではないかと心配した。リアルなものとフィクションであるということの境界がすでに完全に溶け出している。へんな場所に迷い込んでしまったらしい。


俺は大丈夫だろうか。


『ヘアカットさん』の役者さんたちとアゴラのほうまで歩いて帰った。なんだかピクニックの帰りみたいだなと思って大のおとなたちがそんなことをしているのは愉快だった。しかも朝から。岡崎藝術座は、劇団員を欲しているのかどうか知らないけれど、すでにこれだけ理解度の高い魅力的な役者さんたちが周囲にいるのだから、これをもって一座の仲間、ゆるやかなファミリーということでどんどん公演を打っていけばすごく面白いという気がした。これは実は『ヘアカットさん』を見た時にすでに思っていたことだけど今朝はなおさらその思いを強くした。神里くんはいいお仲間がいるなあ。


観たい劇はたくさんある。直近ではデスロックとか五反田団とか、時間堂も通しで本番を観たいし可能なら『ヘアカットさん』ももう一回くらい観たい。ただじわじわと時間がなくなっている。ついでにお金もじわじわ蝕まれている。そしてここ2日間くらいで浴びたタバコの煙の影響と思われるが体調もじゃっかん心配ではある。でもいちばん心配なのは、やはり昨夜のようにたくさんの人に会うと例によって調子に乗って軽薄に要らんことを喋るのがいちばんこわい。軽薄さというものが、周囲の人間にとって多少なりとも役立つようならいいなと思うけれど、実はこれでも凄まじい自己嫌悪に襲われたりはするのだ。そして軽薄に人と交わるとどんどん分裂症的にいろんなところに痕跡ばかり残して自分が薄まっていく。まあそんなことは百も承知なのだけど結構つらい。いろいろと、人間のエネルギーとか欲望とかを目の当たりにしたりもするしね。感性をある程度閉ざしておけば大丈夫なのだけど昨日みたいに開いちゃうとそういうのが一気になだれ込んできて結構やばい。しかも今めちゃくちゃそっちに鋭敏になってるから。酔いが醒めたあとにズシンときますね。


まあ「つらい」ってのもちょっと違うんだけど、もう何言っても何やっても誤解はつきものだからそれはいいです。それよりも自分のためにちゃんと統合するということを今はやる必要があるのだなあと思います。自分のため、っていう言葉もまた違うんだけど。とにかく残り時間が少なくて、その中でどういう形がベストなのか正直ちょっとはかりかねている。まあでもそれは、苦しいけど考えるのは楽しくもあるんだけど。