さようならゼロ年代もう安らかに眠ってくれ


昨日ポ祭に来てくださったみなさま、本当にありがとうございました。「エクス・ポ テン/ゼロ」もおかげさまでたくさん売れました。「りたーんず」や「テルテルポーズ」もちょこちょこ買ってもらえて嬉しかったです。会えた人、会えなかった人、いましたけど、みなさんありがとうございます。感謝。


さてぼくは個人的には今日が締め切りのことがあって、昨日の打ち上げにも参加せずに仮眠だけとって取り組んでます。これはどうやら完全に失敗作ですが、それでもなんとしてもやり遂げなくてはいけません。ほんとに辛くて楽しくて孤独な(でも実はとある人にずっと手伝ってもらった)作業でした。で、今は時間がないので一瞬だけ、ゼロ年代について書いときます。


ゼロ年代はざっくりいうと、わりと前半はエモーショナルで、後半はパフォーマティブなのがウケる世相でした。要するにひとことでいえばお祭り騒ぎだった。まあ適当ですけど。そもそもぼくは「ゼロ年代」という呼称からして好きではなかった。すでにそこには浮ついた感じが拭いがたくあって、着地する場所を見失った感じがずっとしてた。そこに大変うすら寒いというか、生ぬるいというか、気持ちわるいものを感じてもいました。ただ、ある部分では風通しが良くなったのは事実だと思います。というか、誰ひとりとしてこの世界の答えみたいなものを持ってないのだということが明らかになった。そこはよかった。来年からはいろんなことがやりやすくなるかなとかすかに期待してます。まあやるしかないんで、期待とかもどうでもいいんですけど。


で、「テン年代」という呼称が意外に定着してますが、佐々木敦がこの呼び方をあえて言い出したのは、「ゼロ年代」の次なるイメージを召喚する意図があってのことだと推測しています。その意味では「テン年代」というパッケージの言葉よりも、その内実をあらわず「エニグマ(謎)」とかって概念のほうがはるかに重要でしょう。個人的には、来年以降はディケイドでものを考えなくてもいいようにしたい。というか、ディケイド的発想から離れていけるような強さを持ちたい。つまり俯瞰的に何かをわかったように記述するのではなくて、あくまでも地を這って言葉を探すということです。もうそれしかなくて、ひたすら字を書き続けようと思いますが、それで時々フッと飛べたらいいなって思います。




それと2009年は、演劇から非常にたくさんのものを受け取った年でした。舞台に多く触れていくことで、かえって自分は言葉の人であるという認識もあらたにしました。それももっとバージョンアップしなくちゃです。体力つけて。ともかく2010年、さらに演劇は面白くなるだろうなとも思ってます。ただなんとなく、どっかで文脈を拡散するようなことはやってみたいと個人的には思ってますが。ヘンに収斂しかねない可能性もなくはなくて、そうなっちゃうと面白くないからね。


最後になりますが、ぼくはもうかなりいろんなことにうんざりしていて、相当どうでもいいやと思ってます。これは当然誤解を招く表現ですが、投げやりになっているのではなく、むしろ全然逆で、そんなことよりはるかに大切なものを見つけたということです。けっして数は多くないけど手応えのある愛をしっかり感じてます。ま、愛とか言い始めると途端にうさんくさくなりそうなのでやめますけど、そこはもう全然揺るがねえんだよ、という感触を得られた一年でした。というか、よく生き延びたと思う。本当に。みんなもよく生きたよね。えらい。もうそれだけでいいんじゃないかと思うくらい。


来年もよろしくお願いします。よいお年をお迎えください。