スイングバイのこと。


昨夜はこまばアゴラ劇場で、ままごとの『スイングバイ』(2日目)を観た。なんか、すごく良かった。「普通の人」をこんなふうに照らせる作家がいることに、勇気をもらったというか、うれしい感じがした。いい作家だし、俳優やスタッフも含めて、いいチームだなと思った。


まだこれから観る人がたくさんいると思うので、以下は、ストーリーや舞台装置や俳優についてなど、具体的なことはあまり語らない。相当な印象論になるけども、今感じていることを書いておきたい。




柴幸男作・演出の作品を、この一年と少しで幾つか観てきたけど(ワイルダー等、見逃したものもある)、『スイングバイ』は新しい方向に踏み出した感がある。これまでは良くも悪くも作風として閉じた感じがあって、(斬新な)箱庭の中での完成度が異常に高い作家という印象もあった。けれど『スイングバイ』は手法として未知の領域へ一歩踏み出してると感じた。(最近気になってる「アッサンブラージュ」という概念に通底するものを感じた。)


ただ、今までと全然違うことをしているわけではなく、確実に積み重ねられてきたことの延長であることは間違いない。ホン(戯曲)についても、柴幸男がこれまで(たぶん)描こうとして求めてきたものに、とうとう指先が触れた、掴んだ、という確かな手応えがあって、凄くじーんときた。なるほどこの作家の物語への欲望のようなものは、ここに向かっているのか、と伝わってきた。作家として誰に向けて語りたいか、誰に届けたいか、その根っこの部分に、ある種の確信にも似た力強さと、優しさと、温かさとがある。不安や自意識と共に歩んできた(と見えた)作家が、それらを捨て去るのではなく、織り上げることによってひとつ山を越えた瞬間を目撃したような気もした。彼がひらいた新しいフィールドは、それこそ、我々を宇宙へと連れ出してくれるのかも。


切れ味や、若々しさ、愛らしさ、華やかさ、リズム感、といった点では、ままごとの前作『わが星』のほうが(2010年3月16日時点では)はるかに優れていると思う。しかしこの、どこへ向かうとも知れない不安定な無重力空間の中で、引力だけを頼りに、観る者を次第に惹きつけていく加速力のようなものがこの作品にはあって、それが『わが星』とは別種の時間の流れを生み出していた。狭いと感じていたはずの劇場空間が気づくと歪んで膨張してるような。そして、複数の出口が用意されているような。




正直、観ていて途中で、この作家は、(いい意味で)やけくそになった?と感じた。野蛮さというか、汗の匂いというか。それはなんだか大人びた汗で、美しかったのだ。作品として細かい瑕疵はまだあるのだと思うけど、それらがどうでもよくなるくらいの図太さを感じさせる美しい汗だ。細胞レベルの、遺伝子とか、人間を人間たらしてめている部分に訴えかけてくるものがある。


もちろん現実は、ここに描かれている有り様よりももっと厳しく、もっと凄惨でありうる。そんな過酷な現実に比べれば、まさにこの作品世界は所詮「ままごと」にすぎないのかもしれない。けれども、この(比喩も含めた)汗に嘘はない、それは信じられると思った。例えば『少年B』の頃はまだそれが作家自身の汗である気がしたのだけど、いまは人々の汗というか、他者の涙というか。そういうものを描ける(引き受けられる覚悟をもった)作家が現れたことに、今とても感動している。

http://www.mamagoto.org/