「アッサンブラージュ→新しい公共」のためのメモ。


エクス・ポ」次号掲載予定の野村政之さん(@nomuramss)との企画のためのメモ。意外と読めない大きさ……。しかしとりあえず進めます。野村さんにはあとでメールで写真を送ります。






まずコメントとして、自分は手書きの文字を晒すことに抵抗があるということに気づいた(書く直前の段階)。でも書いてしまった今となってはどっちでもいい。たぶん、一度「恥ずかしい」と感じることが儀式として通過されたので満足したのだろう。それに今となっては、全然自分が書いた気がしない。どこかのコビトがやってきて書き込んで去っていったのだと思うことにする。


A面は主に手法について。B面はテーマについて。テーマは「アッサンブラージュ新しい公共」で、「新しい公共」という言葉が多分に誤解を含みそうだけど、とりあえずはワーキングタイトルとする。以前、2ヶ月ほど前に野村さんと喋った音源(2010年2月1日@駒場東大前喫茶イーグル)があり、それを再生して(巻き戻しはせず)一回でメモを取った。基本的に紙片の中央から書き始め、時計回りの螺旋状を描くようにしてメモを書き込んでいった。


当初の想定では、音源を聴きながら全然違うことを書いていく、と考えていたけれども、実際にはほとんど喋られてることを書き留める行為に終始してしまった。そのうえで、多少、喋られていないことを付け足したりもした。例えばB面の右下にある「東京半島」という言葉は完全なオリジナルである。あと疲れて話を追うのが面倒くさくなった時は、猫とかビールの絵を描いたりした。


音源の途切れるところで、短い休憩を2回入れた。なおひとり自室でメモをとり、そのあいだiPhoneの電源も切っておいた。音源を聴くためにPCは起動していたものの、ネットには接続していない。


平面上に言葉を配置していく作業は、普段意識してやらないので興味深かった。そして、意外なところが矢印で繋がったりした。この「矢印」の存在が大きい気がする。矢印を引くということがこの作業においての要だった。




野村さんは独特の言葉遣いをしていた。「ゆがまり方」とか「唇寒い」とか「ぼさっと」とか。「風船」や「台風」や「枝葉と幹」とかいった抽象的な例え話も多い。その中で面白かったのは、鰰[hatahata]の公演になぞらえた、「Aプロ/Bプロ/Cプロ」という概念で、「Aプロ=ある厚みを持った作品」「Bプロ=軽快な流動性を持った、作品周辺に染み出した動き」と仮に設定すると、「Cプロ=わけのわからない単発的なスピンオフ」ということになる。この「Cプロ」的なものの可能性を自分としては考えてみたい。


で、様々な枝葉というか、話の種のようなものはあらゆる場所に配置されていて、どんなふうにもここから話を拡げていくことはできそうである。ただし、ここからかりそめのゴールを設定して話をしたとしても、あくまでもそのゴールは「かりそめ」にすぎない気がする。そこにはなんら切実なものはない。なので、目指すところとしてはテーマ的な仮のゴールというよりも、いちおうのゴールは設定しつつ、これらの抽象的な言葉のメモを、より具体的な現実の様々なマテリアル(ファクター)に結びつけていくということをやってみたい。特に自分はこの2ヶ月のあいだに様々なお芝居を観たし、野村さんもその後ままごと「スイングバイ」のドラマトゥルグをやったり、鰰[hatahata]の夜通し歩く企画に加わったりもしているので、できるだけそうした現実に起こった出来事、あるいは起こりうる出来事、起こったかもしれないけど起こってないかもしれない幻視された出来事、全然起こりそうもない出来事……といったものと結びつけていきたいと思っている。


最後になるけどやっぱり「野村さん」という言い方は他人行儀でちょっと無理かも。