上京20年。


気づいたら東京に出てきてちょうど20年経った。正確な日付は覚えてないけど、中学上京と同時だったので、入学式の数日前じゃないだろか。


20年もあれば東京についてさすがに何か語ってもいい気がするけど、実際には語ることはほとんどない、というか不可能だと思う。上京体験というものが他の人と圧倒的にズレているので、語りとして(自伝でもないかぎり)成立しそうにない。そして自伝なんて書くわけもない。どうも自分が「共感」とか苦手なのは、そのあたりに原因があるのかもしれない。10代の頃の体験というものが、一般の中高生とあまりに違いすぎるというか。もちろん、それぞれの中高生は個別の体験を持っているはずだけど、「ティーン」とか「10代」とか「中学生高校生」とか言葉はなんでもいいけどとにかくそういう形で一般論化して(クリシェとして)提示されてくるものに関してはほとんど通じるところがない。おそらく、その期間に感じたであろう抑圧の質もずいぶん違っているだろうと思われる(まず親がいないし)。


なので自分には基本的に現代ふうの自意識をもった人たちのことがよくわからない。ただし観察はするので、その行動や物語られる話から推測して、こんなふうに自我が形成されてきたのだろうな、と自分なりの「自意識像」を編み上げることはできる。そこに何らかの喜怒哀楽が生じていることも理解はできる。でもそんな想像力は何の役にも立たない(と思う)ので、普段は「共感」のスイッチを切っている。自意識にまみれた現代の東京人とそのナイーヴさにはほとんど興味がない。他人についてはただ眺めるだけでよくて、その造形(美醜)や熱量や質感といったもののほうがはるかに信じられる気がする。あとはその人の精神の強度とか。




それにしても、東京はだいぶ腐敗が進んでるな、という感覚は近頃あって、それは「HB」の6号の東京特集でリリー・フランキーの「東京の事を考えると鬱になる」というインタビュー記事を読んだせいかもしれなくて、実際問題、東京のことを考えるとたしかに鬱になる。なかなかここは病理的な世界だと思う。自分が東京に出てきた頃に比べれば水道水も美味しくなったし、様々な局面でエコ化も進んでるけど、やっぱりどこか根っこの部分が腐っていてその上をいくら綺麗にしてもこれはダメだという感じが拭えない。近頃はその腐った土壌に慣れてしまっていたというか、必死にそこで生きてきたので考える余裕もなかったし今も実際余裕はまるでないのだけど、精神的にはこの腐敗に気づくだけの心の余裕は持っていたい。


だから、その東京でモノを作ってしまうことの異常さを考える時、ある種の作家たちが東京を離れてその近郊に拠点を持ち、それらの土地でクリエイションを試みているのもなんとなくわからないでもない。ツイッターをはじめネットにしても、ほんとは無限に世界を拡げてくれるというかどこにでも行けるはずのものだけど、実際には惰性で使っていると「ザ・東京」を補完するものでしかなくなる。どんどんいくらでも閉塞するRT地獄にわらわらと取り囲まれる。それはいかにも東京的な亡者であって、別にそれによって直接的に儲かるとか利益が発生するわけでなくても東京人はついゾンビになってみずから東京に奉仕する。


だからここらで、ちょっと東京に反逆してみたい。


昨日、取材で武蔵小金井に行った。果たしてここが東京か、というと、行政的区分としてはそうだけど自分には東京と感じられない。住んでいる人たちも東京という意識は持ってないんじゃないかと思うくらいで。いや知らないけど。あそこはあくまで武蔵小金井であって、東京ではない。この話は、今ちょっと書きあぐねている某ミニコミ誌の原稿に書くかもしれないのでこのへんにするけど、でもなんかよかったのだ、武蔵小金井


今住んでるところは、地理的にはどう考えても東京だけど、自分的には東京という感じはしない。隠れ家的な感じがあって、それは部屋もそうだけど、周辺の町もちょっとそんな隠れ家的な雰囲気を持っている。町を歩いていても誰も知り合いに会わないのがいい(もちろんご近所さんには会うこともある)。ここから東京を食い破ってみる。