プルサーマル・フジコのこと


なんだかとても忙しくて、春なのか、まだ春でないのか、あるいは春が通り過ぎてしまったのか、よくわからないままに日々の天候を受け入れています。リズムを保つために、できるだけ太陽と共に目覚め、夜が来れば寝るようにとは思っていますが、締め切りの都合でままならないこともあります。最近はマッコリがお気に入り。そして週に1度か2度は近所のベトナム料理のランチを食べます。今日はそのお店の陽気なおじさん(たぶんベトナム出身)に「いつもありがとね〜」と声をかけられました。


さて忙しい中で、しかし「あれあれ?」と思うこともないではなくて、とはいえこの違和感を今はうまく口にすることができないというか、面倒なので書きませんが、なんだかもの凄く醒めた自分というのがいて、それが浮ついた状況を眺めているということはあります。嘲笑でさえも絡め取られる世の中です。それもまた罠なのです。少し前にも書きましたが、本当に東京が腐っているな、と感じているのはたしかで、その一方で自分は東京でのうのうと暮らしてもいるわけです。それは別に人格が乖離しているというのでもなく、もっとささやかに、さらさらと分裂しているというか、感覚が茫漠と偏在しているという状態に近くて、それでいて奇妙に統合がとれてもいる。大変落ち着いているわけです。そして自分は、今いる小さな町にしばらく腰を下ろすことにしました。特に凄い決意があるわけでもないのですが、ああ、そういうことなんだな、というこの感覚は初めてのことで、取り立てて精神が昂揚しているわけでもないローテンションなので、自分としては信頼できる感じがします。


ここでしばらくは仕事に専念したいと思っています。まあ継続的に仕事のある保証はまったくないですし、別に今もまったく恵まれている状況などありませんが、どうも自分は不平不満を口にしたり、誰かを貶めてのしあがってやろう的なマインドがないようなので(時に攻撃的ではありますが)、精一杯やるだけです。そのため、ミニコミ誌などから「なんかへんなもの書いてよ」的な依頼があったりすることもあるのですが、それは他に任せて、自分は編集業に集中することにしました。編集の仕事と書き仕事というのは、かなり近いところにありますし、相互に高め合う部分もあると思うのですが、やっぱり立場が別で、特に書く内容によってはまったく抵触するので、できるだけこれからは書き仕事はそっちのほうに回したいと思っています。といってもいわゆる広告主のいる商業誌に載せられるようなものを書くことは現時点では考えられないので、かなり変則的な活動になるとは思いますけど。


その書き手はプルサーマル・フジコといって、まあ自分にとっては心の友みたいというか秘密兵器的なところがあって、いつか満を持して世に送り出してやろうという考えもありました。しかし例の「あれあれ?」という違和感のせいだったり、ともかく仕事が忙しいという状況もあって、まだ準備不足といえますがこの段階でリリースすることにします。なんか、『天空の城ラピュタ』に出て来た、孵化しきってない巨神兵がドロドロ溶けちゃった、みたいなことにならなければよいですけど、まあ世界の端っこのほうで細々とゲリラ活動を繰り広げてハナから無理な革命を目指す、というだけのことですから別に大丈夫でしょう。どうせ負け戦なのですから。


というわけでそちらもよろしくお願いします。ツイッターとブログは以下です。直接連絡をとりたい場合は僕のほうにどうぞ。窓口になってますので。
https://twitter.com/pulfujiko
http://pulfujiko.exblog.jp/


とりあえずは下北沢の喫茶店イーハトーボで刊行されている「HE+ME=2」の8号に短編を書いてますが、近々出るらしい「ふつうの女の子」というミニコミにも少し長めの短編が載る予定だそうです。自分は両方とも読みましたが、まあ別に、これらが世の中で凄い話題になるという可能性は残念ながら無いと思います。例えばそこには新しい目を見張るようなアイデアとか、誰かエラい人を唸らせるような見事な構造といったものがないからです。いっぽうポピュラーな(どこかのクラスタにウケる)要素も皆無に近い。じゃあなんなのだ、ということですが、おそらくもの凄い悲観主義者というかニヒリストとして絶望的に世の中を観察しながら、露悪的な悪態をついたりルサンチマンの塊になることもなく、ただ嘘のない言葉をアクロバティックな試みと共に書ける書き手というのは、今の時代そんなには多くない気がしています。(いや、居たらぜひ教えてほしいのですけど、おそらく自分が知らないだけなので。)嘘がないといっても、フィクションなので嘘といえば嘘なのですが、まあこの腐った時代の狂騒に流されないというか、時代の変化にオロオロしているだけのオトナたちに騙されないことは大事だと思うのです、僭越ながら。周囲に惑わされず、自分でものを考えていかなくてはいけない。ところが、「わたし」というものをどこかに置き忘れてきたのか、いまひとつその在り処がよくわからない……。


思うにプルサーマル・フジコは、未完成な部分もあるとはいえ、ある種の風船的なふわふわした要素と、可動式のイカリ(錨=怒り?)を併せ持った書き手だと思いますので、ごく少数であれ誰かから必要とされることはあるかもしれません。まあそうあってほしいし、誰かひとりの読者に届けばいいと思います。それは何かのスイッチが入ってしまった熱狂的な信者とかではなくて、いわゆる文学ファンのような人でもなくて、ただごくふつうに、本当にごくふつうに生きていたいというだけの人です。自分は売れる売れないとか評価されるされないとかよりそっちのほうに賭け続けて生きてきたつもりなので、今回満を持して(ということでもなくて実際は成り行きなんですけど)プルサーマル・フジコに出動を依頼した、というわけです。それは自分にとっては、少し寂しいことでもあります。できれば世の中に晒さないで、ただ心の友としてあってほしかった、という気もするのです。願わくば、お茶目な部分が愛されますように。ともあれ、どうぞよろしく。