追記


↓と書くと、それしか理由がないようにやはり読まれるだろう、という絶望がまた襲ってくるので、それで数日書かなかったんですけど、まあもう仕方ないかという気持ちです。いっこだけ言うと、パフォーマンス、ということでいうと、もう何もかもがパフォーマンスな訳で、つぶやくというのは、ブログを書くということもそうですが、同時に「誰かに見せている」ということを、もうデフォルトでやっているわけですよ。それがもう当たり前のことになっている。進んで「見せる」ことが奨励される。で、はっきりいってその中で「辞めました」的なことって、パフォーマンスとしては全然不利というか、まったく得なことないです。効果なんてないよ。でもあえてやったわけ。もうパフォーマンスを微温的に緩やかに続けてる、ってことからの離脱(の意志を示すこと)なんですよ。そこは理解してほしい。というか、やってみてわかったけど、これはただの自傷です。いちじるしく傷つくのです。自分を形成していたある部分をごそっと削り取ったわけだから。痛いんですよ。傷むんですよ。そして、岩井さんが言うみたいに、自傷した人間はそっから低い声出して唸るんです。今はたぶんそういう状況です。でもなんで自傷するかっていったら、俺は書いたものをちゃんと読んでほしいんです。もう呟きでコミュニケーションとかはとりあえずいいから、それはそれでいいけど、真剣に時間かけて書いたものを真剣に時間かけて読んでほしいと思ったんです。なんかもう、情報の波と一緒に流されていく、新しいとか新しくないとか言われる、適当な流行のコンテクストの中でしか消費されない、消費すらされない、そして自分もその片棒を担ぐ、みたいなことがもうほんとうにイヤなんです。だから自傷してんだよ。要らん傷を負ってるわけ。すごい今どろどろに血が流れてますよたぶんこれ。血と汗と涙でボロボロになって、でも全部の責任は結局自分にあるわけだから、どうしようもなくてそれが外に流れないで詰まってるんですよ。それで腹の中で黒いモノがごごごごごごと渦巻いちゃうのですよ。でも、もうパフォーマンスとやらに関するその解釈とかはどうでもいいから、とにかく読んでほしい。書いたものを。それでとやかく言ってほしい。そこで初めて自分の考えるコミュニケーションは成立する。一般論なんて糞尿以下だ。それだけです。どんなことしたって、パフォーマンス的磁場から離脱できるかっていったら、そりゃそれは嘘ですよ。無理に極まってる。ゼロにはならないよ絶対。そんなことはわかってる。もう何もかもわかってるんですよ。……まあでも、これもまた新たな誤解の火種になるだけでしょう。というわけで自分は、この名前ではもう何も書きたくないんです。生きることは混沌です。