「さあ、もういちど小説を」


文芸誌がすごく好きだ、という若い人の話を聴いてたら自分も文芸誌が好きだという錯覚が生まれました。「新潮」3月号の高橋源一郎×東浩紀×田中和生の鼎談(後編)と、「文學界」3月号の田中和生の論考「さあ、もういちど小説をはじめよう」。どちらもポストモダン文学というやつがテーマです。


文學界」のほうは、197ページまで、つまり中原昌也近代文学の「死父」にとどめを刺したのだ、という話まではとても面白かったのですが、肝心要の198、199ページの結論部分、田中さんが「新日常派」と呼ぶ70年代生まれの作家たち*1に期待するくだりはどうにも腑に落ちないものがあって10回くらい読み直しました。


つまりポストモダン小説がその役目を終えたところに現れた「新日常派」の小説は、単に以前の志賀直哉的リアリズムに回帰しているわけではなくて、漫画やゲームといった、近代文学という「父」に縛られぬ様々なジャンルの手法を自由に取り入れることで、新たな形でリアリズムを表現しているのだ、ってこと? でもだったらば、これらの作家についてこそ、たっぷり誌面を割いて存分に語っていただきたいところです。一冊の本として読みたいくらい。


でもやっぱりなんといっても語るべきは恐るべきパワーを秘めた川上未映子ですよ未映子。この人は避けて通れませんよ。彼女を語る言葉が今いちばん欲しい。小説が好きな友人たちとそんな話がしてみたくなりました。定期的に集まったりする?

*1:ここでは長嶋有柴崎友香、蜂飼耳、前田司郎、山崎ナオコーラ青木淳悟の名前が挙げられています。