新しい神様


ロスジェネいってきました。なんか家に帰ってすぐブログに書く人、みたいになってますが風邪だったのだからしょうがない。というわけで、いろいろと思うところがありましたが、大まかにいえば、「富の再配分」と「尊厳の再配分」の問題は分ちがたく結びついてはいるけれど原理的には分けて考えるべき問題で、前者はなんとかなるかもしれないが後者はかなり難しいよね、っていう話だったと思います。



で、一瞬、「世界宗教が必要なんじゃないか」的な話がでて「いや、やっぱりその前にやるべき細かいことはたくさんある、ああ危ない話になるところだった」と東浩紀さんが仰ってましたが、実際問題、尊厳を承認するというような話っていうのは神なき時代にはとても難しい気がします。もしかすると今の世の中って、神様がいて、無神論になって、それで人々が耐えられなくなって世界が崩壊して、それでまたゼロから神様をつくって、無神論になって、の繰り返しの中にあるのかなというよくわからない想像を一瞬してしまいましたが、とにかく神様がいない状態っていうのはきついんじゃないかということを年齢をとるとともにひしひしと感じます。昔は宗教なんてと一概に思っていたけど生活の苦労、みたいなのが身に染みてわかってくるとなんかね。そういうことを思ったりはする。安易に考えてはいけないけど。


そういえば僕が雨宮処凛の存在をはじめて知ったのはドキュメンタリー映画「新しい神様」で、その頃彼女はバリバリの右翼パンク少女だったわけですけど、その意味では「ロスジェネ」もひとつの小さな神様ではある。ただ、そこでその神様の存在によって語られる希望が、はたしてどこまで有効なのか、その神を信じない人にも有効なのかというと、やはり疑問というか困難は残るわけで。


あと、僕はやっぱり「ロスジェネ」編集委員の人たちが使ってた「当事者」っていう言葉が、しっくりこないんですよね。当事者性ということでいえば僕もけっこう当てはまるんじゃないかと思うけど、「当事者」という立場設定の建て方がなんか昔からしっくりこなくて、それは最初の仕事で福祉関係の作業所で働いた時からそうでした。まあとにかく、今日のシンポジウムは他にもいろいろと収穫はありましたが(世代間闘争の話とか、切っても切れないような関係の話とか、「不安」と「不満」の違いとか)、もう少しアタマの中で転がしてみます。このへんで。風邪なおさなくちゃ。


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