ビューティフル・ルーザーズ


「ビューティフル・ルーザーズ」についてLilmagの野中モモさんがブログに書いていて、少し安心したというか、してしまったというか、実はちょっと前に私も観たのだこの映画。で、こういう世界もあるのか、面白いなあ、という気はしてテンションは上がりかけたのだがやっぱり後半はどう考えても「ルーザー(負け犬)」じゃなくて、だんだん「僕たちはこうやって成功しました」感が漂ってくる。結果的に成功するにこしたことはないと思うけど、でも明らかに広告資本と結びついてメジャーなステージにあがっていく時に、それはいい、だがそこにジレンマはないのかと問いたくなってくる。「俺たちは世界の端っこにいたんだ」的な自負も、結局は苦難の時を超えて「成功」して上り詰めてメジャーなりセレブなりになって、それで良かった良かった、という美談としての物語になってそれで終わりでいいのかい? その、「成功」に対する衒いのなさのようなものが怖いと思った。

そういうのも基本嫌いじゃないし感心するところもあるけど、もっとギーキィでナーディでお洒落でも何でもない(故に最高にかっこいい)正直で胸に刺さる非正統的表現がこの世には溢れてることを私は知ってる。みんなも知ってるはず。
D.I.Y. っていうのは、グラマラスなスポットライトを決して浴びることのないおじちゃんやおばちゃんやそこらのガキ共が何食わぬ顔で平然と実践していることだ、という理解でやってます、少なくともうちは。


ブログでの上記発言に続けて野中モモさんは、こんなことみんなわかってるんだからわざわざ言うのは野暮だ、って仰っているが、いやむしろどんどん発言してほしい。いちいち、やっぱり、誰かが言っていかないと、世界はだんだん痩せ細っていくのじゃないだろか。野中モモさんにはまだお会いしたことがなく、いつもニアミスで「あ、さっきまでここにいたんだけど帰ったよ」的なことが続いており、いつかお会いしたい。いや、今かなり会いたい人です。(と一方的なラブコールをこんなとこで送るのもアレですが……)


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