ブリュイ=雑音、騒ぎ、噂


エクス・ポ」の編集作業が佳境にある。ふだん、作業は基本的に奔屋の小西と私でやっているのだが、事務所を構えているわけではないので、それぞれが別々に仕事してデザイナーの戸塚さんに入稿することになっている。で、校正のために小西担当分のテープ起こし原稿を何本か読んだのだがそれがすごいことになっていて、この人たちは(語り手も起こし手も)もしかしたら気がおかしくなってしまったのではないかと心配になるくらいの饒舌ぶりである。次号の「エクス・ポ」は2000円くらいで売ってもいいのではないかとマジで思った。実際、読んだだけの私は今、半分くらい気が狂いそうになっている。もともとテクストに感染しやすい体質だってこともあるけれど。


人間が持つ過剰さについて考え続けている、ということは少し前にどこかで書いた。例えばテクストが過剰になる時、そこには論理的整合性にもとづく意味内容のプロセス(文脈)以外の何ものかが生じる。つまり、単にABCとアタマから順に辿って行けば意味がわかるというものではなくなって、そこかしこにノイズらしきものが参入してきていささかカオスっぽい様相を呈してくるのである。そしてそれらのノイズは、本来の意味をなぞった文脈の周囲をマイナスイオンのように浮遊しながら、その意味を時おり無効化/脱臼させ、意味以上の何かを読み手に伝えることに成功する(こともある)。「読む」という行為の中には実はそういうものも含まれているはずだし、同じ本を何度も読んで、そのたびに受け取るものが違ったりするのは、ノイズという目に見えない妖精が本の中を飛び回っているせいではないかと思う。それに対談の場合、過剰な語りは対談相手の何者かをも破壊する。緊張であったり、警戒であったり、構えであったりという、なにかそういう守備的なものを。




ところでノイズといえば、吉祥寺の百年で買ったジャック・アタリの『音楽/貨幣/雑音』(みすず書房)を読んでいて、その原題である”Bruits”という語は訳者(金塚貞文)あとがきによればこうある。

原題の”Bruits”は、(1)(楽音、調和音以外の)音、響き、雑音、騒音。(2)騒ぎ、騒乱。(3)うわさ、風説、風評。(4)評判(白水社『仏和大辞典』による)といった多義的な意味をもった言葉である。言うまでもなく、本書では(1)の意味で使われているのだが、そこには、「雑音」あるいは「ノイズ」とは訳しきれない響き【ルビ:ブリュイ】がある。


ブリュイという語が「雑音」のほかに、「騒ぎ」や「噂」といった意味を持つというのは面白い。しかし実はこの本は2006年に「ノイズ―音楽/貨幣/雑音」というタイトルで復刊されているのだった。もしかするとそちらのあとがきを見ればタイトルを替えた意図がわかるのかもしれないが(出版社側の経済的な要請によるものかもしれない)、とりあえず元版の訳者あとがきを読むと、アタリは情報科学や生物学からこの語を援用しているので、本来「ノイズ」と訳すのが良いかもしれないと書いてある。とはいえ、この「ブリュイ」という語が持っていた多様性が「ノイズ」と訳すことで失われてしまうとしたら、やはりそれは少しもったいない気がする。


ノイズ―音楽/貨幣/雑音

ノイズ―音楽/貨幣/雑音