『ポケットは80年代がいっぱい』


そういえば先週たまたまテレビをつけたらサンデープロジェクトに東さんが出てて、おおっ、と思ったらメンバーは櫻井よしこ姜尚中香山リカ東浩紀に司会が田原総一朗という異色の組み合わせで、東浩紀が喋るとテロップに「新進気鋭!」とか書いてあって今さら新進気鋭もないだろうと思ったが、テレビというところは要するに新聞や雑誌やラジオで名声を高めた人が出る場所、みたいなイメージが未だに息づいている場所なのかなという気がした。まあそれはともかく、それでひさしぶりに香山リカを見てなんだか不思議な人だなーと思ったのだった。


というのは名前からしてもちろんこれはペンネームだがリカちゃん人形からとられたもので、自販機雑誌「HEAVEN」の山崎春美が場当たり的に名付けたものだという。山崎春美はちょっと何かをお願いするだけの時にはその名前を誰でもかれにでも付けていたようで、いわば香山リカもそういう感じで最初は原稿を依頼されたのだろうと『ポケットは80年代がいっぱい』には書いてあった。それにしてもこの「HEAVEN」は山崎春美とそのパートナーのロリータ順子、つまりは「TAKO」をいわばカリスマとするコミューンのようになっていて、「HEAVEN」編集部代わりに使われていた山崎のマンションにはいろんな人がたむろしていたようだが、そういう中にあって朝になるとひとりだけ「私、学校いかなきゃ」と言ってそそくさと医学校の世界に戻って行った香山リカは、はたして単なる優等生を地で行くような生真面目な人だったのだと断じていいものか。よくわからない。山崎が回顧する「カヤマさんは怖かった」というセリフが印象的だが、「HEAVEN」周辺の女の子たちがほとんど全員山崎と肉体関係を持っていて、なぜか香山だけが例外だったというこの証言が正しいものであるとするならば、いったい、香山リカとはどのような人物だったのだろうと不思議に思わざるをえない。


同書に収められた中沢新一との対談では香山はひたすらYMOへの憧れを語っている。そして、彼らが次に何かをしてくれるのを「待っている」のだという。そこまで心酔しながら、一方で工作舎とはつかず離れずという微妙な距離をとり、誰とでも寝てしまう魔力を持ったおそるべき山崎春美を寄せ付けなかったのはどういうことだろう? けっして香山が奥手だったということではなくむしろ『ポケットは〜』にも何度かボーイフレンドの話が登場するし、『テクノスタルジア』でも「それに自慢じゃないけど、私はいつも新しい恋愛のめどが立ってからおもむろにそれまでの人との間でふったりふられたりを始めるから、空白の時期など経験したことはないのだ」といかにも自慢げに書いてあって、どう考えてもかなりの恋愛体質というかほとんど恋愛のプロといっていい。にもかかわらず、同じく『テクノスタルジア』に収められた文章に、(これはたしか宮沢章夫もどこかで引用していたと思うが)「そーだ、あの頃って人を好きになってどーのこーのっていう雰囲気じゃなかったんだよね。いろいろな人に出会ったのに、だれとも恋愛の関係にはならなくてね、それだけはちょっぴり残念に思ってるよ」と書いてあるのだけど、どうもこの文章の文体からして、いまひとつ信用ならない。信用ならない、というのは事実がどうか、という意味ではなくて、いわゆる「信用ならざる語り手」の匂いがするということで、それは彼女が香山リカというペンネームを身につけて書き手として出発したことと無縁ではないだろう。


さて非常に事態はこんがらがってきた。なぜここまで香山リカといういわばメジャーといえる存在を今さら気にしているかというと、80年代を知っている人間としていろんな人がいると思うのだが、香山リカも明らかにその中の重要な人物のひとりであり、そしてそれを告白したはずの『ポケットは80年代がいっぱい』の記述はどうも疑わしい、というより「信用ならざる書き手」によって書かれた一種のフィクションであるというふうに思えてならないからである。要するにまだまだ隠された80年代のリアリティというものがそこにはあって、意識的にせよ無意識的にせよそれは語られていない気がするのだ。「プラザ合意の前後で時代が変わった」という見方も、彼女自身の進路決定と重なった偶然はあるにせよ、いや、だからこそ、ホントだろうか? と疑問符をつけざるをえない。


実弟中塚圭骸からは少し茶化され、中沢新一の前では従順な「ニューアカの娘」を演じてみせる彼女は果たしていったい何者なのか? と思うけれど、むしろ、80年代という時代がまだほんの少し昔のことにすぎず、いろんな人が生き証人として残っているのに、まだ全然わからないことがあるということが驚きである。ここからはまったくの仮想であるが、もし、私たちが「歴史」や「教養」といったものから切り離され、それを喪失したと感じているとすれば、まずはここ(80年代的なもの)に遡らなくてはならないという感じがあり、それは一方に重要な作業であると思いながら、他方ではちょっとまずいのではないかという予感もある。彼らはもしかしたらこれからたくさんの証言を残すかもしれない。それらは重要だろうし、一方で鵜呑みにはできないだろうなとも思う。とりあえずは、ばるぼらさんが最近刊行した『NYLON100%』を読みたい。


ポケットは80年代がいっぱい

ポケットは80年代がいっぱい

テクノスタルジア―死とメディアの精神医学

テクノスタルジア―死とメディアの精神医学


追記:と、いうかこないだの「南陀楼綾繁トーク十番勝負」のゲストが「HEAVEN」の人だったんだよな……。残念。