過去を考える


地下鉄で知人らしき人を見かけた。十数年前にある雀荘の常連だった人にすごく似ていて、というかたぶん本人で、けれど近づけなかったので確証はない。生きていればもう少し老けて見える気がするから違う人かもしれない。


あの頃つるんでいた(かまってくれた)人たちが今も生きている可能性について、今日まで考えたことがなかった。それは、彼らがあまりに退廃的で不健康な生活を送っていたせいもあるのだが……。過去を考える、ということがここ数日アタマの中に棲みついている。それは自分の中でひっそりと処理すべき問題である……のかどうか。