アイデンティティ・クライシス→グダグダモード点火


毎年この時期になると冬眠したいと思うのだけど冬眠できるほどの備蓄もないせいか、そもそも半分引きこもりみたいな生活だからか、今年は冬眠欲求がそれほど強くないのです。それよりも知的好奇心のほうが勝っていて、とはいえ時間とお金と体力をどのように配分するかが問題。特にお金は問題。でも結局いちばんないがしろにしちゃってる要素。まあいいんですよ。ぼくは貧乏だった。お金がひとの一生でいちばん大事なことだなんてだれにも言わせまい、みたいな。大事だけど。


ところでこのブログの位置づけが微妙になっています。告知は奔屋ブログのほうで出来るし、しかも半分以上は僕じゃなくて小西が更新してくれてるし、「テルテルポーズ」絡みの日記はテルポブログに書いてるので、言葉はわるいですけどこのブログはそれらの残り滓、という感じになります。いわば消去法の成れの果て、みたいなことになりそうですけど、どうせマイナスなんだったら、ヘンなことをブツブツ言ってるブログにするのも悪くないかなあ、とかとか。ブログ一般に対する批判(自意識の塊とか、誰に見せてるんだとか、そんなん書いてる暇があるんだったらとか云々)もそろそろ一巡した頃合いだと思うしどうせそういった批判は特殊日本的な状況に依存したものに違いないのだから、あらためてそんなの気にせずに好き放題に書いてみてもいいかなー、なんて。


というか、性急な判断とか、反応速度とか、白黒つけましょうとか、そういうのがわりと隆盛の時代だと思うので、そうすると天の邪鬼としてはより切れ味の鈍い、判断しない、グレーゾーン、宙づり、グダグダ、冗長性、滞留、一階でも二階でもない部屋、みたいな方向に行きたくなるのです。もともとそちらのほうが性に合っている気もするし。




といっても表向き特に書けることもないんですけどね。あ、昨日赤坂大輔さんのブレインズがあったんですけど、そこに来てた若いのにやけに映画に詳しそうな美形の青年が「ケン・ローチ」の名前を口にしていて、おや、と思っていたら、実はテルテルポーズ2号の葛生賢さんの日記(10/15)に出てくる、東京国際映画祭の客席で「ケン・ローチ!」と叫んで蓮實重彦に返り討ちにあったというまさにその人でした。その勇気にテルポをプレゼント。




あとまったく全然関係ないけど百年で立ち読みした吉田健一訳の『ファニー・ヒル』のアレ(私)はなんなんだ!とかそういった疑問はあります。