偶像崇拝


今日はほんとは家で掃除とか仕事の整理とかメールのお返事書きとかしようと思っていたのですが、いろいろありまして結局ほとんど外へ出たまんま。諸々のお返事等、しばしお待ちいただけたらと存じます。二、三日かかってしまうかも。急ぎの件がもしあればお電話いただくのが一番ありがたいです。


で、今日のことなんですけど、あるものを観て激しく幻滅しまして、っていうか激怒しまして、それは前評判を聴いて期待が大きかったからでもあるんですが、でもまあいろいろ事情もあるのはわかるしきっと当人たちも違和感を抱いているだろうからもういいけど(それとも、もはや感覚が麻痺してしまってなんとも思わないのかな?)、ただ、もしも自分の愛するものがああいうことになりそうになったら身を挺してでもそれはなんとかしなきゃ、って気持ちにはなりました。でも今でもあるんだなー、ああいうこと、という話を偶然会った友人に話したら全然あるよメジャーなものでは普通だよと言われてショックを受ける。なんだかなー、つまりは、例として適切かどうかわからないけど、ワールドカップの時だけ日本代表サポとしてどこかから湧いてくる烏合の衆みたいなのと本質的には同じことなのかもしれない*1。その時の観客動員数にはたしかに貢献するけど、長い目で観た時にまったく質の向上に繋がらないという点ではまさにそう。なぜかというと、彼らは騒げる対象さえあればよくて、目の前で起きていることについて、本当は何ひとつ自分のその目で観ていないからだ。だから何も育てない(消費によって金銭面で貢献するという点だけは美徳だ)。まあつまり僕の幻滅は批評精神が欠けたどころか対象である作品との距離がまったくとれていない「客」およびそれがつくりだす「常連観客共同体」に向けられてるわけですけど、ほんとにお前ら考えたほうがいいよ……とか思うけど無駄だろう。作品に対して失礼だとか言っても意味がわからないだろう。やつらには「思考」というものがなくて「反応」しかないからだ。ほとんどもはや人間であることをやめた動物同然なのだ。ついに個人主義を確立できなかったこの国の未熟さを嘆くしかないけど、そんなもん今さら嘆いてもしょうがないから僕は自分の愛するものを大事にするだけです。ほんとに、この国に神様がいないことが、ああいう共同体を作り出す根本的な要因ではないかという気もする。神様がいなければ個人主義もおそらくは確立できず、そして様々な、神の代替物だけが今ではいたるところに転がっている。これはある種の、現代的な偶像崇拝である。個人主義を確立するかわりに、我々は様々な神の代替物をそれぞれに崇拝することを選んだのだ。でも俺は、もしも自分のやってることがああいうことになりそうになったら、その時は必ず自分でトドメを刺そう。多様な価値を担保するという点で多神教は歓迎だけど、とはいえ、崇拝するための偶像なんかいらない。


まあでも、今では質の高い観客も(それこそ僕なんかよりはるかに観る目のあるお客さんも)いっぱいいるってことを知ってるので、そういう意味ではそんなに幻滅してないんですけどね。でもあれは気持ち悪いと思ったけど、考えてみれば昔ダウンタウンガキの使いとか観てても客席で女の子がずっとクスクスしてるみたいなのはあったからそこそこメジャーになったらわりと普通なのかもしれないですね*2。ま、俺はそんな場所に一秒たりともいたくないけど。

*1:うーん、やっぱこの喩えは適切ではないかも。

*2:ちなみに、メジャーになったらダメ、みたいな単純な図式では考えてないですよ。