乱れる


兄が相変わらずなので、今年最初の「コントレ映画塾」も私が書くことにします。といってもこの映画を観たのは数日前で、私自身の情報処理も全然追いついてないんですけど、ま、とりあえずマイペースってことで。


成瀬巳喜男『乱れる』(1964)。戦争で夫を亡くした礼子(高峰秀子)が酒屋をひとりで切り盛りしている、そこにスーパーが出店してきて商店街は大打撃、いっぽう大学を出て就職したもののすぐに辞めてしまった夫の弟の幸司(加山雄三)は、プラプラと”ルンペン”気取りの生活をしていたが、酒屋をつぶしてスーパーを新たに出店しないかと話をもちかけられる、このまま酒屋を続けていても、たしかに未来はない、でも義姉さんが18年間も守って焼け野原からここまでにしたこの店をそう簡単に潰してしまっていいもんか、だってぼかぁ、実は義姉さんのことが好きなんだ! ダメよ、幸司さん! ……乱れる!


前半は、やはり成瀬の『娘・妻・母』(1960)に近いモチーフ、つまり家族があり、そこに妻として迎え入れられた存在が微妙にその家の中で浮いてしまうという空気、を表現するものかと思って、うーん、どうだかなー、三益愛子はまたまた優柔不断で無知な母親を演じちゃってるし(なにしろ口癖が「どうしたらいいかねぇ」だもの)、と思いながら、でも酒屋のセットは素晴らしいなーとか思って観てたんですけど、後半になって、高峰秀子がある決意をして清水から東北路に至る*1、そのロードムーヴィーっぷりはとても素敵で、そしてそして加山雄三! ただのパチンコのオッサンじゃなかったんですね、、、見直しました、ってのも失礼だけど、若大将シリーズが一世を風靡したってのも頷けます。若くて、コミカルで、実はインテリな、清々しいアナーキスト




旧時代に属する人間が、新時代の人間の台頭によって消えていく、という世代交代的なモチーフも成瀬の作品にはいくつか見られましたけど、この映画では、高峰秀子は旧時代の人間で、加山雄三が新しい時代の象徴として描かれている、しかも高峰秀子は、自らその退場を演出してみせる、その二人が対決することになるラストシーンは見もので、このラスト、はっきりいって超衝撃でした。成瀬がゴダールの『勝手にしやがれ』(1959)を観ていたのかどうか、まあたぶん観ていたでしょーけど、加山雄三ジャン=ポール・ベルモンドで、高峰秀子ジーン・セバーグだったとしてもまったく遜色ないというか、顔を見せることのないまま消えていく加山雄三に対する、この高峰秀子のラストランと表情は、しっかりと映画史の中で記憶されてしかるべし、というふうに私は思います。


ちなみにこの不可思議な、微笑とも驚嘆ともつかない表情の大写しが、高峰秀子の成瀬作品におけるラストショット、、、なのかと思いきや、もう一作『ひき逃げ』という作品にも出ているようですね、彼女は。


乱れる [DVD]

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*1:ちなみにこの移動の途中で、一瞬だけ「上野」での乗り換えシーンが映るんですけど、つまり「東京」はこの映画において単なる通過点でしかなく、そこにはまったくドラマがない。といっても、この映画が別に「地方都市のリアリティ」を描こうとしたものではないことは明らかで、しかも、ちょうどこの映画が公開された頃は東京オリンピックで盛り上がっていたはず、とすると、あえて「東京」がこの映画において回避されたのは、なにかしらの意図があってのことなんでしょーか。