ヒアホンのイベント


妹がこのところずっと旅行中で不在なんで、更新滞ってます。ブログ書くのってこんなに面倒だっけ? というか、ブログを書く、という行為が世の中に存在しうるということさえ忘れていた。妹の存在の大きさが身にしみる。たいていのことは失ってから気づく。(なんてな)


水戸芸術館が出してる「WALK」58号の日記特集をみて、人にはこんなに複雑で豊かな日常があるのかと驚いた。そしてこのボリュームで600円(水戸市外では720円)という価格設定にさらに驚く。ブログにしても日記にしても、書く、という行為を通過することでキュッと凝縮されてしまうのだが、そうやって日常がフィクション化してしまうことをどう受け止めるか。


こないだの土佐さんの「劇談」のあと、岩井秀人さんに深夜車で送ってもらった時に車中でノムさんと話をして。岩井秀人(ハイバイ)のデフォルメは、それこそ「コンビニの店員の首がふくらんだ」みたいな幻視をしてしまってる、でもそれがズバリ物事の本質を突いていて、そこは消してない、だからあらゆる登場人物がデフォルメされていて、すなわち情報量は圧縮されてるはずなんだけど、それがちっともスカスカにはならないで、楽しめるし、グッとくる、心の奥にある何かのマインドにびびびと届く。ちなみに松井周さんの「サンプル」はまさにその劇団名の通りクリシェ(よくあるパターンの会話)をサンプリングするやり方で、「キレなかった14才♥りたーんず」の中ではたぶん柴幸男がもっともそうした方向性に近い。だってサンプリングだから。そしてそれは全然いい、のだけど、岩井秀人の場合はサンプリングじゃなくて、幻視によるデフォルメなのだと思う。事物の本質を、なんかいきなりパッと掴んでモノにしてしまう。だから台詞のバリエーションは、どちらかというとかつて聴いたことのない言葉、なのに、どこかで馴染みがある。なんだかわかる。届いてしまう。


だからようするに、ものをつくるにはいろんなやり方があって。だからつくりつづける。つくるのも罪だが、つくらないのはもっと罪だ。




今日はヒアホンのイベント@タワレコ新宿店。佐々木敦×岡村詩野。でもずっと家でトーク開始後30分くらいまで雑誌「りたーんず」の作業してたので、大幅に出遅れる。最近は寝られる時に寝る生活。体重がだいぶ落ちていて、でもそれは軽いというか、無駄なものがないというか、あーこの感じ、ひさびさ、ひりひりしてるのって十代の頃みたいかも、と駅でちょっと思った。


でちゅーんのセカンドアルバムが6月頃発売らしい。なんとそこに、やくしまるえつこがコーラスとして参加するそうです。モジモジしていて可愛い郷くんは、「えっちゃんが……」とか言ってて、その感じがまた、いい。やっぱ萌え萌えなヴォーカルになるんじゃないですかね。だって、でちゅーん×やくしまるえつこ、だもの。