雑誌りたーんず、佳境


今日は自転車で桜上水へ行った。桜はもうほとんど散ってたけど、下高井戸の商店街とか、いい感じの夕方だった。


桜上水ドトールで、稽古帰りのももちゃんと合流して雑誌りたーんず用の原稿を書いて(描いて)もらう。あー、面白かった。愉快だったなあ。珈琲飲むつもりだったのにマンゴージュース飲んじゃったよ。でもほんとは「あー、面白かった」という言葉では片付けらんないくらいのものが、雑誌ひとつ作るとなると、ある。できればもう少し器用になりたい。今回はおそらく、この不器用さが、面白さというか熱気のようなものに繋がってくれると信じてるけど、でももうちょっとスリムに、コンパクトに、起用に、洗練された手つきでやってみたいものだなと。


思いますよ、そりゃ。


これ終わったらシノダと思いっきり遊びたい(ももちゃんによると最近色っぽくなってるらしいけど、ほんまかいなw)。やっぱこれやってるあいだは純粋な友だちではいられないなと思う。そりゃあそうだ。ほとんど、背筋が凍るような思いをしたりしてますよ俺は。だってお互い本気だからね。そして本気の時のシノダはけっこうこわい。でもそれは彼女が怖いのではなくて、僕の中にある恐怖心のようなものがそういう時にむくっと前面に出てきて見える、ってことだと思う。結局のところこの恐怖心のようなもの(たぶん武者震いとかも込みだし、いろいろ複雑なので、厳密にいえば恐怖、ではない気もするけどさしあたってそれが近いからそう呼んどく)を超えないと、何をやったってただのんべんだらりって気はする。のんべんだらり、ならそれはそれで、だらりな芸を究めればいいのだけど、とにかくこの境界線はさくっと越えてしまわないと。見たいのはこの先です。なんかこれポジティブな意味だけど、それ見られるんだったら全然死んだってかまわないもの。命かけられる。小学生みたいな表現ですけど。


なんかさっき、かなちんとポギャルのぽんちゃんとこの雑誌のことでスカイプしてて、中学生の時に妖精を見たのを思い出した。やつらは全然かわいくなかった。今なぜか、やつらに逆襲されてる気がする。がんばれ中学生の俺。じゃなかった今の俺。僕? くそー。こんちくしょうー。「キレなかった14才♥りたーんず」というこの企画が立ち上がった時は全然おれ関係ないっすよ、みたいな感じだったけど、雑誌づくりが架橋にはいってきて、なんかその、「14才」のもってることの意味が、いや意味じゃないな、なんだろう、その時間の厚みとか軽みみたいなものが、すうーっと身体を通過していってて、それが居心地わるいと同時に、なんかものすごくからだが軽い、あれ、飛んでる? みたいな感じ。これ完全に、今となってはりたーんずに呑み込まれた。


とりあえず、具体的な懸念事項も山ほどあって予断を許さない状況だし(なかでも心底やばいと思ってることがあって、できればこのあと寝て起きたらそれが解決してくれるといいのだけど……たぶんそうならないし楽観できねえなあ)。緊張感があるのはしゃーない。でも終わったら遊ぼう。なんかたとえば、行く先々のコンビニでビールを購入しつつ、一晩で酔っぱらいながらどこまで歩けるかとか、そういうくだらないのがいいな。ふつうに踊るとか。とにかく、なんにしたってお酒はほしい。お酒をください。


あー、そしてまた夜が明ける。あと3日!