けっきょく


ワインは当然ながらお代わりとなった。まだ全然イケると思っているがウズベキスタン戦までには帰ろう……(と言いつつ、すでに完全に間に合わない……つうか始まってるしどうでもよくなってきた、もう一杯いくか……)。でもちゃんとここで拾いものもした。なかなかいいアイデアが次々浮かんだのだった。やっぱいろいろ場所を変えてみるのはいいもんだ。そのアイデアが使えるものかどうかは後日シラフになってからしっかり検証しよう。


ところで隣の席にさっき12人くらいでやってきた集団、音楽にしては楽器がないし、演劇にしてはちょっとそういう感じでもないような。でも、隣に座ってた赤毛の女の子、めっちゃ礼儀正しくていい子だった。ふたことみこと会話した。この国の未来は明るい。最近の若者は……的な物言いというのは伝説とか噂話とかではなくて身の回りにわんさと溢れてるけど、やっぱ若者が未来を作ってくんだって思う。いつも。なんかほんと世界の見え方とかがもっと純粋でヒリヒリしてるんじゃないかと思う。そのヒリヒリはごく稀に思い出すけど。まあ大抵は鈍磨させている。もしくは鈍磨させたフリをしている。でもこの不況になったおかげでいいことのひとつは、「社会とは……」みたいなことを言って偉ぶる大人がまったく説得力を失ったことだと思う。まあ不況がいいとは思いませんけど。でも誰かが言ってたように、今は過渡期だし、これでいろんなことが変わっていくのだと思う。……ええと、誰が言ってたんだっけ、ああ、友人の進路相談のようなものに乗っていたのだった、昨日……。ぼくに相談するのは間違ってるよ、と言ったんだけど。


あと女はやっぱすごいなとあらためて思った。男の考えてることは大抵わかる。アタマの善し悪しとか、知識の過多とかはあるけど、その考えてることは基本的にはトレースしていけば理解可能なものであることが多い。理解不能な場合は、本人もよくわからないまま専門用語を振り回してるだけってことがほとんどだから基本的には無視しても差し支えない(ほんとに専門的ならば傾聴に値するけど)。でも女は違う……まあこの場合の男とか女ってのは理念型のそれだと思ってください(だから当然例外もわんさかいます)。だからアタマの回転の速い人とか見ても、すごいなあとは思うけど怖いとか感じることはない。わかるから。でも女は……時々怖い。けっこう怖い。もっと若かった頃はさらにいろんな意味で恐怖の対象ではあったけど、まあそれなりの年齢になった今、基本的には恐怖ということはなくて、でもほんとに面白いなあということはいつも思う。


なんだか唐突に、哲学が好きだった若い女友達のことを思い出した。なんかいろいろ、よく知らない思想家のこととかを知っていた。初めて会った時彼女はまだ10代だったと思うけど、今はもう20代の半ばくらいになってることだろう。いや、もしかしたらもっとかな? 彼女はその、彼女の得意な部分、特異な部分を常に持て余していたような気がする。そしてたぶん周りの男たちによってその突出した部分をかなり浪費されていった。こういった現象はしばしば女性に見られがちである。その浪費は確実に当人の経験になるから、すべてが否定されるべきものではないけども、でも磨り減らしはしたんだよ。たぶん世の中がもうちょっと男女公平であり、もうちょっとだけ彼女に対して優しければ、きっと彼女はそんな苦労をしなくてすんだだろうに、と思ったりもする。でもしょうがない。彼女は決してすごい美人というわけではなかったが、纏っていたオーラのせいで余計な男を惹きつけ、なかなか不可思議な人生を送る羽目になった。今頃何してるかな。まあ元気だといいけど。まあきっと元気だろう。


そしてまた唐突に思い出すわけだが(こんなにフラッシュバックしてるようじゃあ寿命が心配だが)、ぼくが演劇を見始めるようになった頃、演劇の世界に関わっていたある女の子がいて、その子がなんかのメールのやりとりかなんかだったと思うけど突然出した言葉が「命短し恋せよ乙女」だった。黒澤明のあれ。ブランコ。その「恋」は、あくまで比喩的な恋愛だったかもしれないけど、まあ今なんとなく思うのは、あんまり生き急がなくても、みたいなことで。とはいえ、「命短し」と思ってる子が、それはそれで美しいのは事実だ。だからこそ切ない気持ちになる。


で、なんでこんなことを書いてるかというと、さっき星をくれた子の日記をついつい読んで心が震えてしまったからですけど、まあ干支にして一回りも違うわけですよお兄さんは。お兄さんになっちゃいますけど、でもやっぱりそこには普遍的なものがあるというか、単に「世代」みたいなことで括れないというか。たぶんこれからいろいろあるんですよ。そしてそれは、絶対に避けようがない、不可避なことなんですよ。切ねえなあ。切ない。花嫁の父親とかはたぶんこういう気持ちじゃないだろうか。とにかく日記は面白いので、書き続けるといいと思います。ぜひ。書き続けるって結構大変だけど。大抵の場合、それこそソーシャライズされていく圧力によって、きちんと整理されてしまうか、沈黙させられてしまうことがほとんどだし。でもとにかく、ひとまずは周囲の理解とか評価とかそういうの気にせずに書き続けるってことは大事だと思うし、やっぱり基本的に人生は過去現在未来という順番に時間の流れを経過していく宿命にあるので、その時にしか書けないということはどうやったってあると思う。少なくともぼくはそういう部分(とにかく書き続けてしまう、書いてしまう業のようなもの)をもった書き手が好きだし、正直、そういう部分のない書き手はいかにうまく書くスキルを持っていようがどうしようがそれ以上の興味は持てない。職業的にリスペクトしたとしてものめり込むことはない。スキルを持った人ならごまんといるから。そしてそうであるかぎりにおいては、いくらでも換えがいるから。……って、別に説教したいわけじゃないのだった。単に仲良くしたいだけ。フラニーとゾーイーだっけ? 説教するか服従するかしかない人間関係の持ち方しかできなくなった、みたいなの。そういう話を読むとこれまた切なくなる。そういえば大学を出る時、恩師に言われたのが「とにかく書き続けなさい」ということだった。その意味が今となってはちょっとだけわからないでもない気がする。ところが実際はまったく恩知らずの、不肖の弟子なのだった。もういっこサリンジャーでいうと、あの客席にいると言われる「太った女」の話……その女を捜し続けてるという感じはする。そのことを考えるとマジで打ちのめされる。そして、こっちは見つけられないにも関わらず、「太った女」はいつもこっちのことを見てはいるのだ。その視線だけは感じるのに、返せないというのがつらい。いや……何を書いているのか。

 
ダメだ、早く家に帰ろう。外にいると、ふだん抑えているざわつきのようなものが頭をもたげてくる……。と言いながら、ふたたびワインのお代わりをしてしまうのだったが。