凹型の世界(密告=告白)

あなたがたはなにごとにも口実をみつけることができる。ぼくもそうだった。ぼくがLにたいしてサディストであることの理由づけは、彼女がぼくの妻となって祝福されるときも騒ぎたつ海に入水するときも、けっしてぼくは手を握ろうとしなかったし興奮ですこし汗ばんだその指を軽くぼくの指にからませることさえ許さなかったということだ。だれも、演出指導の教師でさえも、Lにぼくの手を握らせることに成功しなかった。しかしあなたがたはLがぼくをあいしたかどうかを知ることができない。ぼくがLをあいしたかどうかについてもぼくはなにひとつ語ることはないだろう。Lは毎日の練習でけっしてぼくの手を握らなかったしぼくはそれを口実にしてLをいじめる。だが彼女はどんな瞬間にもことばを吐かなかった。
(中略)
ぼくは少女にすがりつき、ぼくのした残忍な儀式のことをだれにもしゃべらないでほしいと哀願した。Lは黙っていた。Lはぼくにたいしてことばによる存在関係の通路を閉鎖してしまったのか? そうだとすれば彼女のことばはもうぼくと共通の回路のなかを流れることはないだろう。しかし彼女はあなたがたにぼくを密告することはできるのだ。あなたがたはLの訴えに耳をかす……するとぼくは世界の裏側にはみだしてしまうだろう。たしかなことは、あなたがたがこのぼくを、慇懃にか憎悪にみちてか、あなたがたの世界から除外し追放してしまうということだ。ぼくがかぶっていた存在の皮、秀才であり天使のように純血であるぼくの、貴族風の美しさでいろどられた存在の外皮は剥ぎとられて黒い臓腑のもつれあった中身が姿をあらわす。このぼくを、あなたがたは色情狂の少年、サディスト、変質者という名で固定する。そして犬殺しさながらの形相と喚声であなたがたの正義をかりたてながらぼくに打ってかかることだろう。ぼくが撲殺されて頭の穴から脳漿を流しだすとき、ぼくの眼はあなたがたの黄いろい歯列をまざまざとみ、記憶するだろう。ぼくは恐怖のあまりハイエナのような笑い声をたてるかもしれないが、あなたがた、忠実な犬殺しにとっては恐れるにたりないものだ。こうしてぼくは世界の裏へとおしだされる。しかしどこに裏側の世界は存在するのか? ぼくはあなたがたの世界をプラスの符号をもった存在の王国だときめよう。するとマイナスの存在符号をもった裏側の世界があるはずだ。あなたがたの世界で通用している掟がすべて裏返しにされた凹型の世界、それを存在させるのはぼくなのではないか?

  倉橋由美子「密告」(1960)