あえて〈孤独〉であるための読書、序文

 

おそらくこれほどまでに〈孤独〉が忌み嫌われ、不当に恐れられる時代も珍しい。しかも仮にあえて〈孤独〉を望んだとしても、それを手に入れるのはそう簡単ではないのだ。私たちはつねにどこかのネットワークに繋がって(繋がれて)いるし、そこで交わされるコミュニケーションに背を向けるには、それ相応の、周囲の空気に流されない覚悟や意志を必要とする。


読書は、そんな私たちに残された、数少ない〈孤独〉の愉楽であるとも言える。パラパラとページをめくってみればすぐわかるように、私たちの手元にあるこれらの本は、どのネットワークにもリンクされていないし、スパムメールや営業の電話や、友人からの飲みのお誘いや、恋人の起こす癇癪ともまったく無縁である。それどころか、この社会におけるささやかな成功や失敗や、お金の有る無しや、競争や、仕事が順調かどうか、あるいは鼻の高さ、背の高さ、オシャレのセンスがあるかどうかといった〈リア充〉的な各要素とも、まったく関係なくそこにただ本は本として存在する。


同時に、本は、ある人間がある時代に〈孤独〉に生きた(そして時には死んでいった)ことの痕跡でもある。読書によって私たちは、いや少なくとも私は、あれやこれやの世間的な雑務や煩悶やどうでもいいことを忘れて、ほんの短い間であっても、「あー、私、そういえば単なるひとりの人間だった」と思い出すことができる。あるいは、周囲の喧噪によって乱れかけていた自分のリズムを取り戻す。それはとても、気持ちの良いことだ、と思う。


今回は、ジュンク堂書店新宿店さんのご協力を得て開催するトークイベントのために、このフリーペーパーを用意して、『〈リア充〉幻想 ―真実があるということの思い込み―』の著者である仲正昌樹さんを始め、取材の際にインタビュアーを務めてくれた池田鮎美さん、またこの本の担当編集者である私自身と、さらには仲正さんが昨年末に上梓された『教養主義復権論』でそれぞれ聞き手を務めた気鋭の研究者(白井聡、浜野喬士、大澤聡)三氏にも、「あえて〈孤独〉であるための読書」というテーマで選書コメントを寄せていただいた。(藤原ちから)


(*以上は、3/6のイベントで配るフリーペーパーに序文として載せる予定です。スペースがあれば、だけど)