リズム三Q妹、好き嫌いと批評眼について。


もう、↑のタイトルがかなりどうでもいいことになってるけど、それはさておいて。好き嫌い、で物事を判別判断することについて、ここ数年、避けてきた、遠ざけてきた、ということについて話したい。それは、作品の「善し悪し」を判断する批評眼というものが、いわゆる「好き嫌い」とは根本的に異なるものだ、と考えてきたからだし、実際世の中で流通する「感想」で、好き嫌いによってただちに作品が判断されて斬られているのを見ると、おいおいちょっと、そんなちっぽけな「私の好き嫌い」なんかで判断しちゃっていいの? そんなのもったいないし、好奇心を閉ざしちゃうだけじゃないの? と思ってきた。今もそう思ってる。


でもやっぱり、そうやって一巡してもなお、やっぱり好きとか嫌いとか、そういう気持ちは拭いがたくあるのだと思う。それを言う言わないは別にしても。




今回の岡崎藝術座の『リズム三兄妹』(再演)にかんして、もっとできたんじゃないか、という気持ちはあって、それは単に微修正って問題でもなくて、もっと追求できる、と思うところがあった。まだそれを言語化するのは難しいけど、それは(言ってしまえば)演劇というものの本質とか根本に関わってくることでもあると感じている。それで、昨日もとある俳優さんに「もっとできたと思う」というような趣旨のことをもう少し具体的に(とはいえ抽象的な言い方で)言ってしまって、激しく後悔した。煩悶した。世間の評判もとてもいいのだし、みんな楽しんだのだし、実際すごく面白かったのだし、それでいいじゃないか。なのに、せっかくすべてが終わった楽日に、なにもそんな水を差すようなこと言わなくていいのじゃないの? それ以上求めるなんて、酷というか、お前いったい何様だ、と思ったのだった。帰りの湘南新宿ライン(東Qじゃなかった)は本当に見るも無惨な気持ちで帰った。そして、自分の立場をもっと明確にしなければいけないんじゃないかとか、編集者は批評家ではないのだ、とか、もう芝居観るの控えようかなとか、人付き合いを断とうかなとか、特に答えが導き出されるわけでもないまま、不毛な考えをぐるぐるとたぎらせていた。


けれども一夜あけて、昨日買った巣恋歌(すごい・うた)によるサントラを繰り返しループで聴いていて、しかも多大な沈黙部分を含む49分53秒の6曲目「抜歯」を聴いたりしていると、なんだか非常に泣き笑いたいような気持ちになって、ようするに、めちゃめちゃ好きなのだ、ということを噛みしめるのだった。岡崎藝術座が、なのか、今回の『リズム三兄妹』が、なのかはわからないけど(ちなみに初演はDVDでちらっと見ただけ)、もうどうしようもなく好きらしい。


そして、昨日余計なことを言ってしまった俳優に関しても、要はすごく好きなのだった。それは恋愛感情的なものとは全然別物だと思うし、この人間が好きだ、この俳優が好きだ、みたいなのは、なんかいきなり合理的な理由を飛び越えて成立してしまうのだろうと思う。好きすぎて、もっと見たいと求めすぎるところがあって、とはいえその求める詳細に関しては好悪とは別の批評眼がはたらいて「意見」になって出てきたから、昨日は混乱したのだった。もっとシンプルに、好き嫌いや、それとは別の批評的な見解について、スッと伝えられたら。


いや、でも難しい。やっぱり好き嫌いというものを、絶対視はしたくない。いまこの時点で、自分が「好き」と思ってる世界なんて、まだまだ小さいし、狭い。好き嫌いの外側に、広大な世界があること、まだ認識されていない、言語化されていない世界がひろがっているのだということは忘れたくない。そして、様々なものを見聞きすることによって、また様々な対話や読書を通じて新たな語彙を獲得することによって、批評眼が徐々に鍛えられ、それが好き嫌いにも多少なりとも影響を及ぼしうるのだ、ということも、忘れないでおきたい。




今回は、稽古と、ゲネと、本番とを見させてもらって、すごく楽しませていただいた。スタッフの人たちも邪魔がらないで快く迎え入れてくれてとても感謝している(実際はどう考えても邪魔だったと思う)。昨日の本番にしても、もちろんより求める部分はあったのだけど、でもすごく笑ったし、楽しんだし、「いわく言い難い何か」が劇場に降臨しているのを見させてもらったし(そんなことは滅多にないのだ、素晴らしかった)、だいいち、あの場にたくさんの人が来て、『リズム三兄妹』という、よくよく考えてみればわけのわからないものたちによって構成させている芝居を見て、声をあげて楽しんでる、ということ自体が、もうなんだかこれは日本じゃないみたいというか、少なくとも自分がこれまで知ってたはずの日本ではない、そこには、こんな楽しみ方はなかったはずだ、いったいどこだここ? というような空間で、起きた出来事だという気がする。おそらく、これを観たという経験を忘れることはないだろう。たとえ忘れても、何かの拍子に思い出すだろう。


もう、今の望みは、ただただ、もう一度『リズム三兄妹』が観たい、ということで、すごい大枚はたいて、これで公演やってよ! と言いたいくらいの気分だ。実際そんなお金はないので現実には不可能なんだけど、どこかのプロデューサーがお金をかき集めて、そんな夢想を本当に実現してくれないだろうかと、願うばかり。