数奇な、について。


昨日のエントリーで「数奇な」って書いたことについて、指摘されて気づいたのだけど、一般に「数奇な」というとき、不幸な巡り合わせ、といった意味を含むようです。しかし『青春60デモ』に関しては、全然不幸な要素がなかった、底抜けにハッピーであった……なので「数奇な」という言葉も全然ネガティブな意味ではなくていい意味で使った、ということを付け加えておきたいと思います。不穏な感じはあったけどね!(これも良い意味で)


で、ふと思ったのだけど、自分は、もしかしたらちょっぴり不幸なことも含めて「数奇な」という言葉が好きなのかもしれない。というか、不幸も幸福もなくて、もっと運命論的なというか、万物流転、とまで言うと言い過ぎかもしれないけど、ある人間個人の思惑や自意識というものを超えて、運命は大きく揺れ動くというか、そこに個人は翻弄されてしまうというか。それが時に不条理めいた理不尽を生み出したりもするのだけど、とはいえ、全体的にいって、わたしたちは生まれて死んでいくわけで、そのあいだに起こるのはやっぱり「数奇な」出来事だと思うのです。