あくまでも最終的にはひとり


昨日は我が家でパーティがあり、三々五々、流れ解散で人が帰って、最後に残った3人、私とデザイナーKK氏と若手編集者Yくんとでサンマ(三人麻雀)をしました。朝まで白熱した(そして恐ろしく不毛な)闘いを繰り広げるも、結果的にKK氏の一人勝ちで、いつかこのリベンジを、と誓う次第であります。


Yくんとは某私塾で出会いました。その私塾では講義が終わるたびに飲みに行って、とても楽しかったし、実りも大きかった。でもメンバー同士が仲良くなったのは、良くも悪くも、です。というのはそれはあくまでも小説を読むための講座であって、そこに来るメンバーは批評にしろ創作にしろ、なんらかの秘めた想いがあったはず。でも仲良くなって飲みに行って話す、というところで満足してしまった部分もあるかもしれない。もしかしたら、我々がもっと孤独を守ってお互いに話さずただそのまま家に帰り、忸怩たる想いを抱えながら再び小説というテクストにじっくり向き合ったりしたら、そこからまた「書きたい」という欲求が生まれてきたのではないかという気もします。


繰り返しますが某私塾に関しては非常に満足しています。ただ私は編集者でもあるわけだし、そうであるからにはある才能が開花する瞬間を見たいという欲求がやはりある。だから編集者にしろ物書きにしろデザイナーにしろイラストレーターにしろ、(批評も含めて)なんらかの創作に携わる人とはそれなりの距離感を保ちたいと思っています。距離感を保つ、というのは接触を絶つわけではなくて、あくまでも最終的にはひとり、という一線を捨てたくはないということです。*1


で、実はこのエントリーはこの先の話へ展開するための伏線なのだ。つづく(たぶん)。

*1:ちなみに私はひとりでは何もできないことが発覚。今後はそのあたり考えてうまくやります。だからここで言ってる孤独というのは決して孤立するって意味じゃないですよ。