「天然無添加論壇時評ロハス」


ひとつ前のエントリーで意味深に予告してしまいましたが*1、あんまり饒舌に書くと無駄にシリアスになるので、あくまでさらりと書くにとどめます。言いたいのはこれだけ、「エクス・ポ」第二号の新連載、栗原裕一郎の「天然無添加論壇時評ロハス」が面白そうだぜ!ということ。以上、終わり!


というわけにもいかないだろうから、やっぱりちょっとだけ。


「天然無添加論壇時評ロハス」第一回で取り上げられたもののうち、いくつかに私は間接的な薄い関わりがあるのみならず、書籍『文化系トークラジオLife』にいたっては編集を担当しているわけで、その立場からすると反論したい部分もあります。でも細かいところはこの際置きます。*2この連載はあくまでも栗原裕一郎による問題提起であり「論壇」およびそのあたりにいる人々に対する投げかけであると捉えて、それを受けてみたいと思います。


たぶん、「論壇」というのはなんとも奇妙な空間なのです。いわゆる「文壇」とも「アカデミズム」ともまったく違う。で、それが奇妙だということにはみんな薄々感づいてはいたのに、誰も正面からそれを言葉にしなかった。栗原さんが「論壇(苦笑)」と書くところから(書かざるをえなかったところから)この連載を始めたことで、いろいろとかき回され、またそこから何かが生まれてくるのではないかと密かに期待しています。というかこの手探り感がなんともツボです。おそらく、外部から内部を批判する、ということが「論壇」の性質上不可能なので*3、とりあえずその都度の時評をしながら球を投げていくしかないのではないかと。かなりのチャレンジだと思います。すごく楽しみ。

*1:ほんとは「天然無添加論壇時評ロハス」で取り上げられている、「私語」と「徒党」という言葉(江藤淳の「ユダの季節」からの援用)について書こうと思ったのに(だから前回のエントリーを書いた)、全然違う話になってしまいました。まあ、それはそれ、またの機会に。

*2:実際に読みもせず聴きもしない連中がテキトウにこの論に乗っかって「やつらは内輪だー」とか言い始めるのは困りますが、エクス・ポの読者はもっとリテラシーが高いと信じます。大体、そういう話をしたいわけではないと栗原裕一郎は最初に書いてあるわけだし。

*3:聞くところによればこの連載は「絶対安全論壇批評」というタイトルで編集人・佐々木敦によって構想されていたものを栗原さんが「天然無添加論壇時評ロハス」にしたそうで、それってもしかしたら「絶対安全」というポジショニングが「論壇」が相手の場合無理だと考えたのかもしれない。深読み?