論座に思うこと


エクス・ポ路字の発行がともに隔月で、しかも周期がぴたりと一致していて、それで前回はエクス・ポ(の一部)に路字を封入してもらったりしたから、「わーい」なんて脳天気に喜んだりしてたんですけど、いざ両方の編集をやるとなると、これ今回はちょっとキツいですね。路字の発行日、次は3ヶ月後にしようよ?とか思ってみたり。


論座」の5月号に鼎談が載っていたり、中森明夫ミニコミ総論みたいなことを書いていたりで、もはやこれは他人事ではないというか、私自身の関心とも重なるところもあるので、買ったんですけど、っていうかほんとは発売日に買いたかったんだけど、なぜか書店に並んでなくて、それで早稲田文学だけ、そうあの、川上未映子篠山紀信に撮られている、ちょっと電車の中で読むのはためらわれるような、なぜかエロ本を買うような後ろめたい気持ちでレジに並ぶような、もちろんカバーかけてくださいみたいな、そういう早稲田文学だけ買って、それで論座は今日になってやっと買ったわけですけど、問題は、なぜなにゆえにあそこまで仲俣さんが激怒しているかってことで、でもこうしてリンクを貼って、自動トラックバックが送信されれば、また誰かがうっかり間違えてここを観に来て、それで路字のプレゼンスが少しでも上昇したらしてやったりだから、リンクを貼って、人を食ったような文章を書き綴ってみます。たぶんムカつく人もいるでしょうね、私自身、この文体はちょっとアレですから。でもこれは私(F)から、ちょっとだけ人格的に特別に成立している編集者(F)というのがいて、そいつを語り手(F)としてしかも軽薄風味で書いてるわけなんで、そのつもりで読んでもらえるとありがたいんです。だいたい、忙しくなってくると、私は文章が長くなるんですよ。
http://d.hatena.ne.jp/solar/20080402


実はちょっと仕事でお疲れなので、少しチャチャを入れたくなったんですよね。で論座に関して言うと、私は逆にいうと論座の歴史(があるのかどうか)を知らないし、まあ最近気になる人に関する記事が増えてきているよね、くらいにしか思っていないので、ほとんど食指をそそられない論壇誌の中では貴重な存在だとさえ思っているし、貴重は言い過ぎかもしれないけど、いわゆる朝日新聞的なるもの、に対する反感みたいなのも、実はほとんどないんです。っていうと、左翼への耐性がない、みたいに思われるかもしれないし、別に思われてもどうでもいいんですけど、いちおう左翼的なるものとの距離感みたいなのはずっと大事に舵取りしてきたつもりで、だからたとえば論座にしても朝日新聞にしてもいきなり「ロストジェネレーション」とか言い始めたあたりはさすがに私も憤慨したし、そこから繰り出される数々のオルグ的な煽りやら、労働問題のうんちゃら、やらにはもうウンザリしていて……って書くこと自体すでにウンザリなので、もう書きませんけど、さすがに左翼とか右翼とかいうイデオロギー的なものとは距離をとって事物を見つめるくらいのことは、できると思うんです。できると信じているし、時々オルグされちゃう人もいるかもしれないけど、そんな人、べつにどうだっていいと思うんです。思うことにしたんです。


で、論座の編集方針に主体性があるかどうか、ということは私はわからないし、あんまり関心もないのだけど、ひとつ、どうしても気になる事があって、それはもしかしたら仲俣さんの苛立ちともつながっているのかもしれないんだけど、でもそれについては、書けないし書きません。相手のことを読んだり調べたりせずに批判したら、それは私が違和感を持っているところのとある人物とまったく同じことになってしまうから、まあその人には早稲田文学蓮實重彦の「人類はテクストを読むことが好きではない」という一行を爆弾のようにして差し上げますけど、や、これね、蓮實重彦をここで引用してしまうっていうのもそれはそれで問題だってことはわかってて、蓮實さんについては、私もまたあらためて思うところもあるし、考えなくてはならないこともあると思うんですけど、それはだいぶこの文章の趣旨(というものがあるとするならば)からは外れてしまうので、それはいつかの機会に置いておいて、とりあえずいま単に思うのは、中森明夫さんが路字に関してこんなことを書いてくれているそのことです。

なるほど路上の文字で、路字。まだ実物は手にしていないが、「路字」を探しに出かけてみようかと思っている。ネットで知りえた情報で、紙のメディアを求めて路上に一歩を踏み出す。

って感じで、取り上げてくださって感謝なんですけど(ホントに)、だったらほんとに、中森さん、探してくださいよ。面倒くさいから送れー、とか言ったって送りませんからね、ということで、中森さんにはぜひ、路上で探していただきたいものです。すでにいろんな文化人知識人の手許に渡っているはずなので、中森さん、だいぶ出遅れてますよ、とか煽ってみますが、それか中森さんも4月16日のイベントに来ればいいんですよ。そうすればもれなく、路字の創刊号を手に入れることができます。ただし、ちゃんと我々が編集して、発行できれば、の話なんですけどね。やっぱりこれは、がんばらなくてはいけません。




でも最後にちょっとだけマジメに付け足しますけど、もしかしたら、雑誌づくりには、雑誌の良心、みたいなものがあるのかもしれない。良心、という言葉が適切かどうかはちょっと留保しておきたいけど、とりあえず良心と呼ぶならば、それは編集者にかぎらず、作り手、何かを作る人には必要かもしれないもので、それがあるかないか、ということは、ほんとうに大事なことなのかもしれない、とも思うんです。仲俣さんの苛立ちは、つまるところそこに行き着くものなのかも、という気がします。でも聞いてみないとわからないので、今度聞いてみます。というか、これも4月16日の阿佐ヶ谷ロフトのイベントで話題にすればいいんだ。