ウラの世界


とあるサブカルセレブ(?)にお誘いいただいて、歌舞伎町で「よしおを囲む会」に参加。なんだかジャズの歴史について話を聴いていたはずが、どこでどう間違ったのか80年代パソコン黎明期の話になり、そこに思わずコミットしてしまった。……というか、まったくもって忘れていた記憶が、その扉が、よしおによって開かれてしまったのだった。どう責任をとってくれるんだ、よしお……。


うーむ、要するに、僕がその記憶をまったくこれまで忘れていたのは、90年に入って一気にその世界がオタク的なるものに浸食されてしまったからであり、そのオタク的なるものとの線引きを明確にするために、その世界からは完全に距離をとる必要があったということだろう。といっても僕は当時、例えばあの名作「ブラック・オニキス」発売当時は8歳とか9歳とかだったはずで、そこであの暗闇の世界がかっこいいと一人で思っていたのだが(そういうことを話し合える友達は当時一人もいなかった)、あの世界観を「クール」だと思っていた人が他にもいたことを今日になって初めて知ってちょっと感激したのだった。ドラクエとかでは絶対ありえないような、いきなり最初のレベルで地下8階にくだって恐ろしい(というかメチャメチャな)強さのオクトパスに一撃で殺されるような体験を幼少期にしたかどうかというのは、かなり、その後の人生に回復不可能な遺恨を残すように思われる。しかもその殺される効果音とかが、ビッ、とかいう感じなのだ。思い返すだに恐ろしい……。


そういう世界があることを知ったのはおそらく従兄弟の影響で、従兄弟の家にいくと、今は改装されて跡形もないが当時はそこだけ離れになっていて、まさに家の「ウラ」(とほんとに呼ばれていた)にあったその部屋にいくとパソコンと、本棚いっぱいに詰まったパソコン雑誌が置いてあり、インターネットどころかパソコン通信にさえもおそらく接続されていなかったそのパソコンからは、宮沢章夫香山リカをはじめあの80年代文化人たちが口を揃えて絶賛するゼビウスの音楽やらが流れていた。ウラの本棚にあった「POPCOM」とか「コンプティーク」とかのバックナンバーも(という雑誌の名前すらついさっきSさんに指摘されるまで完全に忘れていたのだけど)、ほぼ完全に読破したのではないかと思われるくらいに僕は読んでいた。それはその世界に興味があったというより(というか書いてある内容のほとんどは理解できるわけがないので)、ウラに置いてあったからとりあえず読んでいた、ということだろうと思う。三遊亭円丈のコラムがあったことは今でも覚えている。あとやっぱり多少はエッチなページもあった。それは、友達の家に行ってファミコンをやったというレベルの体験(それはそれで別にあった)とはたぶんまったく異質なもので、ウラには単なる「遊び」や「ゲーム」という概念に還元できるものではない、明らかに自分の年齢の手に負えない何かがあるというような、そういうちょっと畏怖に近いような感情を喚起する体験があったのだと思う。もしかするとあのウラの地下には変なものが埋まっていたのではないかという気がする。そこは明らかに空気の質が違う空間で、それ以後、別の場所であの空気の質に触れたことはない。


そして僕は僕で、当時親に買ってもらったのであろう、MSXという家庭用パーソナルコンピューターで(「マイコン」から「パソコン」へと名称が変わる時期だったような気がする)BASICのプログラムを打ったりして、それによってインベーダーの形をしたキャラクターが画面の左から右までスクロールしていく、といったことにいちいち感動したりしていたのだが(おそらく「英語」という概念が存在することを知る前に「BASIC言語」なるものに触れていたのだと思う)、もちろんそれは孤独な闘いだった。何に向かってああいうことをしていたのか、今ではまったくもって意味がわからない。今日、よしおとSさんの話を聴いたかぎりだと、っていうか別に本人たちは隠してないって言ってたからちゃんと実名を出してもいい気がするけど、彼らはより高度なプログラミングを行っていたようで、しかしそういった高度なことは、10歳にも満たない小学生のガキんちょにはさすがに不可能であった。その数歳の差がやっぱり文化受容に大きな差をもたらしたように思う。




文化受容という話でいうと、ラテンアメリカ文学的なるものの受容の問題もあって(これはかなり重要!)、それはもっとはるかに上の世代のものだと思っていたのだが、よしおたちはそれをしっかり享受していたようで、その流れの先に「ブラック・オニキス」のオクトパス的な存在もあるという話だった。それは「ニューウェイブ」という言葉で括られるらしいのだが、さすがに当時の洟垂れ小僧にはその波についていくことが(というか感受することが)不可能であった。ちょっとくやしい……。


それから鈴木直人とかスティーブ・ジャクソンといった東京創元文庫の話にいたったのだが、この赤い背表紙の本は僕にとってあまりに特別なものであった。本屋さんに行くたびになによりもまずこの赤い背表紙を目が追うようになってしまっていた。まさに赤の誘惑である。当時は芥川龍之介とか森鴎外といった古典的な文学も読んでいたし、古典的なSFやミステリーや歴史小説も読んでいたわけだけど、これはそうした古典とは一線を画す現在形のものとして、かなりビビビときていたのだった。おそらく実家に行けば、めくりすぎて擦り切れた東京創元文庫が何冊もあるはずである。


鈴木直人はなんといってもドルアーガ三部作であり、マッピングに関しては60階すべてをおそらく完璧な形でマスターしているはずである。そのために当然ながら方眼紙を買った。文房具を購入することで世界が広がるような感覚がおそらくそこにはあった。鈴木直人氏の作品は謎解きとシステムとキャラクターが魅力的だった気がするけれど、今いろいろと思い返してみても、そのあとの萌え系オタク系キャラクターとはまったくかけ離れている気がする。この人の作品はほんとに好きで、本に挟まれてるチラシなんかで刊行予定をチェックして心待ちにしていた(そしてやっぱり刊行が遅れたりしたのだった)。すべての作品を読んでいるはずである。


スティーブ・ジャクソンのほうはもう少しメジャーかもしれなくて、少し前に翻訳者の浅羽莢子さんが亡くなったこともあってご存知の方もいるかもしれない。まあいろいろやってるのだが、というか「やってる」と言ってもここまでその話をしていないが当時はゲームブックというものがあって、面倒だから説明は省くけれども、RPGと言ったって当時は用意されたプログラムに沿ったエンターテインメントというものではなくて、その世界観を「読む」というところに愉しみがあったのである。で、話を戻すと、スティーブ・ジャクソンの〈ソーサリー〉シリーズは、おそらく僕が初めて読んだ「世界文学」である気がする(ミヒャエル・エンデとかジュール・ベルヌとかコナン・ドイルとかモーリス・ルブランといった定番は除く)。と、いうのはこれは単なるゲームブックという範疇に留まるものではなくて、西洋的な都市の概念というものを、一桁の年齢の少年にまざまざと教えてくれたのである。城壁があり、その内部に都市がある。そしてその中にはあらゆる人間たちが雑多に暮らしていて、そのカオスこそが都市の本質なのだということをいやがおうにも教えてくれるのだった(まあ要するにぼやっとしてるとスラれたり騙されたり身ぐるみ剥がされたりするわけである)。簡単に言えば、都市とは汚いところであり、様々な異質なものが交差する場であったのだ。


つまり、ドラクエにしてもファイナルファンタジーにしても、日本のRPGはどこかで「ドラゴンを倒してお姫さまを救出する」というような、型通りのファンタジーを踏襲していった、つまりストーリーというものを明らかに重視するような構造になっていったと思うし、もちろんそれぞれのウリを確立しながらも、基本的にはそのストーリー性とゲームシステム(の斬新さというよりは安定性)によって爆発的なヒットを飛ばしたのだろうと思うけれども、例えばスティーブ・ジャクソンのそれは、仲間もなくあまりに孤独であったし、主人公は弱いし、操作性も悪い(なにしろ魔法を暗記しなければならないし、モンスターを倒していけば主人公が成長するというような単純な経験値システムでもない)といったことによって、ストーリー性よりもその世界観(?)で楽しませてくれたという気がする。おそらくはオトナになった今読んでも、全然イケるだろう。


と長々と語ってしまって止まりそうもないというか、だいたい20年くらい上記のことは忘れていたことで、それを今日の飲み会ですっかり思い出して驚いてしまい、恥ずかしげもなくこんなことを書いてしまっているわけだけどさすがにみなさんドン引きだろうからそろそろやめます。しかしこうした世界観は、「ロードス島戦記」の登場によって一気に旗色が代わり、残念ながらオタク系戦闘美少女というパターンのほうへと傾いていって僕としては急速に興味を失うのであった。そうなるともう孤独なものではなくて群れ合うものであって、僕としてはそこにコミットすることは不可能なのである。