流れる


幸田文原作、成瀬巳喜男監督の『流れる』(1956年)。川沿いの花柳街の置屋の没落を、女中(田中絹代)の視点から描く。山田五十鈴高峰秀子岡田茉莉子、それからこの映画のために約20年ぶりにスクリーンに復帰した栗島すみ子(圧巻の演技)など、大女優たちが結集しているというだけでも見応えたっぷり。とくに杉村春子は彼女らしさ(?)を存分に発揮して、この映画の最大の見所でも大活躍。ゾワッとした。


ところで、置屋の二階で高峰秀子が稲妻を観るシーンでは、母娘の距離が最も縮まるが、あれはいやおうなく『稲妻』(1952年)のラストにおける母と娘の対話を思い起こさせるもので、おそらくは意識的に撮られたものだろう。また、例えば女中役の田中絹代が注射を嫌がる小さな女の子をあやすシーンでは、この家の中で唯一まともな人間がその女中であることがその瞬間に浮き彫りになり、その直後のショットでその様子を高峰秀子が眺めている。その表情には嫉妬や羞恥心や羨望の入り混じった感情が浮かんでいて、成瀬巳喜男はホントこうした心情を描くのがうまい(三味線とミシンの音が生み出すコントラストを利用したラストシーンは、あまりにうますぎてかえって残酷なくらいだが)。あとなぜか、田中絹代が隣の蕎麦屋から塀越しに支那そばをもらって、その直後に猫が塀を横切るのとかいった、ほとんど無意味とも思えるショットも味があっていい。


それと、『浮雲』(原作は1949年、映画は1955年)で男が教団を作るエピソードがあるが、この『流れる』においても「天地真理教」なるものの看板が、ストーリーにこそ絡まないものの一瞬だけ映る。戦後まもない当時は新興宗教がいくつか出現した時期にも相当するようだから、そうした世情に対する一種の風刺として描かれた面もあるのかも。

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